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ヨコトリ2014連携BankArt《東アジアの夢》展

ヨコハマトリエンナーレ2014連携プログラム-BankArt LifeⅣ 《東アジアの夢》展
8月12日(火)午後、ヨコハマトリエンナーレ2014の連携プログラムとして開催されている、BankArt LifeⅣ《東アジアの夢》展を訪ねた。新港ピアから連絡バスで、神奈川警察本部前に(3分で)到着。そこから歩いて3分でBankArtに着いた。1F入口を入ったところの受付で、「連携セット券」(トリエンナーレとの共通券)の予約票を提示し、チケットに交換・・・の筈が、「お客様、ここでは交換出来ません」。聞けば、(チケットぴあで購入の)“予約”券との交換は、横浜美術館と新港ピアの券売所のみだとか。「もう一度、戻ってチケットに交換してから、いらして下さい」との事。見事な“連携”である。再度、横浜美術館へ。チケットを入手し、すぐさま引き返す。1時間遅れで、ようやくBankArtに入館できた。

<3Fフロアの作品>
原口典之《オイル・プール》
鉄の枠の中に、黒いオイルが満たされている。表面はあくまでも平滑で、壁と天井を見事なまでに写し込んでいる。
以前、漆造形作家の田中信行氏をして「あれはすごい」と言わしめた作品だ。硝子板の鏡では、この大きさでこの平面を実現するのは難しいのではないかと思う。硝子板の歪みが、鏡像も歪めてしまう。しかし、「オイル・プール」の漆黒の油面は、あくまで“水平”だ。最初に作品を見た時、床に大きな四角い穴が空いているのかと思った程だ。
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写真では、窓からの光が反射して少々見づらいが、実際の作品を見ていると、本当にそこに大きな穴があって、床の向こう側を見ている様な、床下の構造を見ている様な、おかしな感覚に襲われるのだ。
表面の不純物のなさも特筆だ、と言うか不思議だ。小さなゴミとか虫の死骸等があって当然と思うが、それも無い。
あまりのまっ黒さに、ちょっと手で触れてみたくなる。近くにドラム缶が置いてあり、「ダフニーマリンオイル」と書いてある。船舶で使用するディーゼルエンジンの潤滑油だ。これを使っているのか。
【追記】
オイルプールの表面に、ゴミ等が浮いていないのは、ゴミよりも油の比重が低いので、ゴミが沈んでしまうのだそうだ。

桒原寿行(くわばら としゆき)
《eye》
あの目玉があった。以前、N-Markで見た、豚の目玉から水晶体を取りだし(と言うのかえぐり出し)、カメラのレンズにした作品だ。今回も、目玉をえぐり、そこにメスを入れて、水晶体を取り出し、カメラにセットする様子をメイキング映像として上映していた。
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カップルが展示室に入って来て、その女性が、目玉をメスで抉っている映像を食い入る様に見つめていたのが印象的。何だかメイキング映像が展示の主体の様な感じで、観客は部屋の中に置いてある「水晶体のカメラ」に気づいただろうか?


<2Fフロアの作品>
中原浩大
《夢殿》《持ち物》作品の制作年が、「オリジナル1984年、再製作2014年」となっている。2010年に、中原のアトリエが火災で焼失、同時に、多くの作品も失われた。その後、中原氏は、2013年10月に、岡山県立美術館で《中原浩大 自己模倣》展を行い、焼失作品の再制作を試みている。
今回の作品は、2014年再製作となっているので、今年4月に、ここBankArt StudioNYKで開催された《田中信太郎 岡﨑乾二郎 中原浩大 かたちの発語展》に向けて、再製作されてものだろう。
《夢殿》と言えば法隆寺の夢殿、八角形のお堂を思い出しますが、かなり趣が異なります。
法隆寺夢殿
人が瞑想の場とする夢殿(だと思います)が、それ自身変容し、何か別のものになる。表面は土塊だち、屋根の上には角も伸びて。建物というより、それ自身が意志を持った生物にも見えてくる。
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《持ち物》のオリジナルは、もう少し細見でゴツゴツした感じだったが、再製作の作品は、包帯をぐるぐる巻きにしたかのように、全体がふっくらしている。オリジナルから、30年が経ち、人が変われば、その「持ち物」も変容するのだろうか。
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中谷ミチコ
中谷さんは、“レリーフ作家”の異名があるそうだ。ここの壁にも「狼の群れ」のレリーフがある。彫刻とは違って完全な3次元ではないのだが、立体感に迫力がある。狼が、互いに体を摺り寄せる。その体毛が、ざわざわと毛羽立ってくる感じが伝わる。今にも狼が動き出しそうだ。
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淺井裕介
あいちトリエンナーレ2010で、長者町繊維卸会館2Fの部屋で展示していた《室内森/土の話》の一部。
淺井さんが、「これ持って帰ろうかなー」と言っていた、窓ガラスに土絵具で描かれた作品。(繊維卸会館は、あいちトリエンナーレ2010閉会後、取り壊された。)その時は、ボランティアをやっていたので、懐かしいな。
淺井図録あいトリ2010
奥に窓があり、そこにも泥絵が描かれている。それが、今回の展示作品。
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<1Fフロアの作品>
山下拓也
その薄暗い部屋に入った途端、「あ、山下拓也」。Captionの作者名を見なくてもわかる。
赤、黄色、緑等の原色を使った奇妙な、若しくはユーモアのあるキャラクターが、壁の至る所に張り付いている。天井のブラックライトが、黒壁を背景に、蛍光色を際立たせる。山下さんは、以前、作品制作に関して、「会場を観察し、その上で作品を作る。興味を持っている物事、アイディアのストックがあり、それをその場所を使って消費していく」と言っていた。今回の場合、黒い壁の薄暗い部屋という展示環境自体も、山下さんの作品と思えるが。
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このBankARTLifeⅣ《東アジアの夢》展は、力作を揃えたレベルの高いものに仕上がっていると思う。が、今一つ物足りないのは、新作が少ない事か。ヨコハマトリエンナーレとの連携ならば(セット券の協力のみ?)、新作をもっと揃えて欲しかった。現代アート展の観客は、なにより新しい作品に触れる事を期待しているのだから。
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ヨコハマトリエンナーレ2014(新港ピア会場(8/12)

8月12日(火)、先日(8/3)は横浜美術館会場に行ったので、この日は、残りを全て回ろうと、余裕をもって9:30には新港ピア前に到着。やはりと言うか、入口もゲートも開いていない。ゲートの格子越しに警備員の方に聞いたら、ゲートは10分前、入口は10:00に開くとの事。馬車道駅から歩いてきたので、暑い。近くにある「JICA資料館」(ここも10時Openだが、ドアが開いたので)の中の椅子に座って涼んだ。(JICAさんありがとうございました)

新港ピア10:00開場時には、入口前に数名の待ち人だった。
入るとすぐロビーには、やなぎみわの作品、演劇「日輪の翼」の舞台(トレーラーの周囲が開いて舞台に変わる)が、展示されている。
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◇会場にはいくつか映像作品がある。それぞれ個室があり、そこで上映されている。そのひとつ、
《彼女に+彼に》 
レバノンの写真・映像作家、アクラム・ザタリの作品だ。
アクラムザタリ彼女に彼に
<ヨコトリのサイトから>

この作品の部屋の前には、10枚程のアラブ女性と思われる、ちょっと古風なセミ・ヌードの写真が展示されていた。これは何か?と思い説明を読むと、アクラム氏の知人の祖母が残したものだと言う。彼は、その写真の出どころを探り、カイロ(エジプト)の写真館にたどり着く。映像作品は、その写真館の主人ヴァン・レオン氏の話を録画したものとなっている。イスラム圏では、女性が人前で顔を見せる事も難しいと聞く。ましてやヌードである。どの様にして撮ったのか? レオン氏は、女性(友人の祖母)から撮影を依頼してきたと言うのだ。勿論、直接聞いたわけでなく、自分の祖父あたりから聞いたのだろうが、理由はわからない(聞けるはずもないが)。この様な経験をレオン氏自身にもあるのだそうだ。ある日、若い女性が写真館に来て、写真を撮ってくれと言う。了解し、早速撮影に入る。写真を1枚撮る毎に、彼女は衣服を1枚脱いでいく。全部で12枚撮ったが、最後は身に付けているものは無かった。「両親はこの事を知っているのだろうか?」質問にレオン氏は、「さあ、聞かなかったからわからないが、多分、言ってないだろうな・・・」
レオン氏の語りがおもしろい。中東世界の激動の中(勿論、エジプトも例外ではない)、レオン氏の写真館もその中にあり続けた。移り行く様々な出来事やエピソードを飲み込みながら、今もそこにある。覗き込むと、歴史の闇に埋もれた人々の記憶が、突然、顔を見せてくるようだ。

◇映像作品の部屋の前に、何やら黒いゴミの塊の様なものが置いてあった。
《山口-日本海-二位ノ浜、お好み焼き》
殿敷 侃(とのしき ただし)氏の作品。現代社会の不条理に対して批判的なメッセージを発信する作家としてしれている。3才の時、広島で被爆。1995年に肝臓ガンで他界している。
殿敷侃のお好み焼
<ヨコトリのサイトから>

作品は、1987年に山口県の二位ノ浜海岸で作られた。海岸に捨てられた又は漂着した様々な日曜品からなるゴミを集め、穴を掘って、そこで焼き固めたものだ。プラスチック類等が溶けて全体を固めているが、一部はその形状を保ったままくっついている。27年前に展示されたのち、某ギャラリーの庭に放置されていたが、ある美術家に発見され、2012年に再度、展覧会の場に登場する事になった。
今回は、全部で4点(大1小3)の展示。大きなものは、直径120~130cm程の半球形をしている。ポリバケツや空き缶等の日用品が焼き固められた、黒い物体だ。鮮やかな色彩でもなければ、美しい形状でもない。ただの汚いゴミが固まっただけの物なのだが、妙に存在感がある。廃棄物とは、元々私たちの生活の一部だった物なのだから。

◇展示スペースの奥には、大竹伸朗の作品がある。
《網膜屋/記憶濾過小屋》
いかにも大竹伸朗だ。「ニューニュー」(2012)の《モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋》を連想する。
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小屋の外も内も原色が目立つ雑然とした作り。写真や日用品(凡そゴミの様なものも含め)を小屋の内外にちりばめる、貼り付ける。全体の形は、背表紙に赤いボートを配した、ちょっと開いた本の様な感じ。横には、窓(と言うか穴)があり、部屋の中をのぞき込む事が出来る。部屋の壁には一面に写真が貼り付けられている。誰なのかわからないポートレートやどこかの風景。床にも所狭しと、写真がぶちまけられている。いったいこれは?と思いつつも、しばしじっと見入ってしまう。誰かにとっては、価値(or意味)のあるものなのだろうか。
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反対側の壁面には、およそガラクタとしか思えぬ物がギッシリと並ぶ。一瞬、ゴミ屋敷を連想する。
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人々の記憶の中から、価値あるものとそうでないものに振り分けた後の残骸なのか。それとも、資料を集めるだけあつめただけのスクラップ・ブックなのか。時折、小屋の横に立つボンベの上から、煙が湧いてくる。
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記憶を濾過し、不要なものを雲散させるのだろうか。でもその様に見えない。記憶のスクラップブックが、忘却の海の底に堆積物として沈んでいく様だ。

ヨコハマトリエンナーレ2014(8/3)

8月3日(日)、午前中は横浜(トリエンナーレ)、午後は東京・三軒茶屋(トヨタコレオグラフィーアワード)に行ってきました。あまり時間が無かったので、トリエンナーレは横浜美術館会場のみの訪問になりました。
ヨコハマトリエンナーレ2014のテーマは、(既にご存知思いますが)「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」です。
ヨコトリ2014ポスタ

その長い説明を短くしてみます。
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◇「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホール。
人類はこれまで想像を絶する量の情報(や「もの」)を廃棄(=忘却)し続けてきた。記憶化されないまま廃棄された情報(や「もの」)は、それよりもさらに膨大だろう。それら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達にも思いを馳せてみよう。
◇世界は、そのほとんどが「忘却」の(ブラックホール→)海によって満たされ、記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島にすぎない。
「記憶」から「忘却」へと、世界認識のための軸足を、真逆に置き換えてみる。すると、社会や暮らしや人生の諸相が今までとはガラリと違って見えてくる。その手応えや驚きや切実感が表現となる。そうした芸術的態度は確かにあり、ヨコハマトリエンナーレ2014における「忘却」というテーマは、そういったものである。
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横浜美術館には、開館(10:00)の1時間前に(手堅く)着いたが、当然だがまだ開いていない。美術館前の広場には夏の太陽が朝からジリジリと照り付ける。そこには、ウィル・デルボアの作品、巨大な(全長15m)ゴシック様式の《低床トレーラー》があり、その錆びた鉄の赤茶けた色が、暑さを増幅させる。
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広場の端には、木陰の下のベンチがあるが、春なら気持ちの良い木漏れ日も、夏の朝には、肌に突き刺さりそう。向かい側にあるカフェに避難しようとしたら、警備員さんの「まだ開いておりません」(クールだな)。先にチケットでも購入できないかと、日陰になっているチケット売り場を格子シャッター越しに見たら、向こう側からボランティアの人が、「シャッターが開くのは、15分前ですから」(クールだ!)。私はどちらかと言えば、何事にも準備万端整える方だけど、今回はマズった。スケジュールはOKだったのだが、早朝、名古屋の新幹線改札口を通過したその瞬間、思い出した。「あ、ヨコトリのチケット忘れた・・・」私の前売りチケットは、忘却のブラックホールへと吸い込まれたのだ。
(前振りが長くてすいません。)

AM10:00 一番で美術館入り口を通過すると目の前はロビーの広い空間、の筈が、真正面に大きな箱型の構築物が見える。マイケル・ランディの《ART BIN(アート・ビン)》「芸術のゴミ箱」ですね。
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ヨコトリ2014のサイトを覗くと、今でもこのゴミ箱に捨てる作品を募集しています。
その趣旨は、ヨコトリ・サイトの説明によると・・・

「グランドギャラリー(ロビー)に設置したこのゴミ箱は、高さ7m、幅7.8m。(底が正方形で、上が少し開いた感じの立方体)失敗作や未発表等で、捨ててもよい作品を、ここに投げ入れる参加型の作品。失敗作品は、存在していなかったかの様に、美術史上から忘れられていきます。《アート・ビン》は、この「忘れられた美術史」をアート・ビン=芸術のゴミ箱、つまり「忘却の容器」として提案しています。」

正面の反対側には、階段が取り付けらていて、依頼者が持ち込んだ(失敗)作品を、係の人が、アート・ビンの一番上から、投げ入れます。油絵の描かれたカンバスだけの作品ならば、ひらりひらりと舞い落ちますが、木枠や額等が付いていて、ある程度の重さがある場合、投げ入れた後、“ガッシャーン!“と結構大きな音が響きます。周りの観客が一斉に注目。ロビーにいる人は勿論、3F廊下にいる人も、上から覗き込みます。
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今は、底に少し溜まっている程度なので、その分落差が大きく、大きな音が出るようです。会期の終わり頃はどうなっているのでしょうか。失敗作で箱が埋め尽くさてるのでしょうか。その意味で、この作品が、今回の一番の注目かもしれませんね。

今回のヨコトリは、展示をいくつかのChapter(話)に分けて展示しています。ロビーのマイケル・ランディのところは、Introduction(序章)となっています。階段を上がって行くと、第1話から始まります。
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第3話「華氏451はいかに芸術にあらわれたか」のところの作品を、ひとつ紹介します。
マイケル・ラコウィッツの作品《どんな塵が立ち上がるだろう?》です。
ガラスのテーブルの上に、石を削って作ったと思われる「本」が置いてあります。[説明: 1941年に英軍により爆撃され、燃えてしまったカッセル(ドイツ)の図書館の蔵書を石を使ってかたどった作品。] 
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注目はその石。タリバンによって破壊された、アフガニスタンの古代遺跡バーミヤンの巨大石仏のものを使っている点です。(※注:ドイツの調査隊が、破壊後の瓦礫を持ち帰ったと言われてますが、それを使ったのでしょうか。)
<※参考:破壊前の石仏・・・展示にはありません>
石仏破壊前
<※参考:破壊後の石仏・・・展示にはありません>
石仏破壊後

ガラスの上に、文字が書かれています。石仏破壊を指示したと言われる、タリバンの最高指導者、オマル師の言葉です。

「私はバーミャンの仏像など破壊したくなかった。実は、数人の外国人が私のところへ来て、雨で少し傷んだバーミャンの仏像を修復したいと申し出た事があった。私は、ショックを受けた。こう思ったのだ。この冷たい人間たちは、生きている何千という人々、餓死しかけているアフガン人の事など気にかけず、仏像のような無生物の心配をしている。きわめて遺憾である。それで私は仏像破壊を命じた。彼らが人道的な仕事のために来ていたら、けっして破壊など命じなかっただろう。
- ムラフ・モハマド・オマル - 」

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世界中でタリバンの文化財保護に対する意識の欠如が強く批判されたが、立場が変われば、上記の様な見方になるのだろう。しかし、タリバンを批判しながら、飢餓に苦しむアフガニスタンの人々に無関心な国際社会に、イランの映画監督は、自身の作品の中でこう語る。(※注:展示にはありません)

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し、世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」

ある問題に関するものの見方は、見る人の数程あるのだろう。忘却の海の底から、情報の紐を手繰ってみると、次々と思いもよらないものが引き上げられてくる。

どうも、テーマから察するに、じっくりと読み解くタイプの作品が多そうだ。次回は、時間をかけて見る事にしよう。
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ゆでたまご

Author:ゆでたまご
鑑賞者の目で現代アートを探求

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