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榊原澄人 永遠の変身譚

榊原澄人 永遠の変身譚(メタモルフォーシス)
清須市はるひ美術館  2016年10月4日(火)~12月11日(日)

国内外で、今、注目のアニメーション作家である榊原澄人さん。初期作品(イギリス ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの修了作品)の《神谷通信》(2004)から、《浮楼》(2005)、《淡い水の中》(2007)、《É in Motion No.2》(2013)、《Solitarium》(2015)、そして最新作(郷里北海道で撮影)の実写映画《Rapollo》(2016)まで、これら代表作をまとめて紹介した、美術館では初めての個展だそうです。
 タイトルの『永遠の変身譚』は、古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」(メタモルフォーシス)由来のものです。確かに作品の中では、キャラクターの変身場面が頻繁に見られます。
<上映作品例>
《É in Motion エ・イン・モーションNo.2》(2013)  榊原氏のサイト
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《Solitarium》(2015)
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気になったのは、初期のものですが、《神谷通信》(2004)。
小学生の少女が、亡くなったお母さんに手紙を送る話です。
小学校での出来事、同じく小学生の弟の日常、僧侶の父親の毎日のお勤め、老犬タロの様子等を手紙に綴った内容が、ナレーションとして流れます。
淡々とした日常の記述の隙間から、突然、愛する母を失った悲しみを受止められずにいる少女の姿が垣間見える様で、胸に染みてきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

拝啓、お母さんへ
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お母さんお元気ですか?
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今年の夏も暑いけど、紀子は何とか元気にやってます。
いつもお母さんに会いに行こうと思うんだけど、宗吉(シューキチ)が友達と一緒についてくるってうるさいし、これじゃ当分は無理みたい。

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学校はもうすぐ夏休み。みんなそれぞれ忙しい。
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近頃女子の流行は、援助交際。一日3万。
衣装はきっちり、メイク無しでは歩けません。
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タルペコ(担任教師)は、生徒との不倫がばれて、家庭崩壊の危機。
浮世は正に地獄の沙汰。
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でももうひとりの浮世離れは、元気いっぱいにしています。
宗吉は最近、新しいお面に取り換えて、心機一転。どうやら今度は、狐になるらしい。
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新しい友達も出来た様で、えーっと、名前、ハービーって言ったかな。
日本人じゃないみたい。けど、宗吉も知らないんだって。
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宗吉曰く、人の世は至極やっかい。
虚仮の一念(こけのいちねん)。  時に物事は、知らぬが仏。


家のタロも今年で17歳。年功序列の世の中では、ヘビー級。
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威厳漂う柴犬のそろそろ彼岸は近いと見た。  南無阿弥陀仏。
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「ただいま」
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お父さんは、相変わらず。  年功序列の世の中じゃ、43歳生臭坊主はミドル級。
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日々のお勤めはきっちりやっているようだけど、お彼岸に近づいているかは疑問。
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まだまだ甘い。


お母さんが逝って一年が経つけど、まああれでもお父さんなりに頑張っている様だし。
どうやらこんな感じで時は過ぎていくみたいだけど、何だかんだ言って、みんな元気にやってます。
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お母さんもお元気で。
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「宗吉!手紙」
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PS.
お母さん、お盆には、帰ってくるんでしょ。
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私がそちらに行けたらいいんだけど・・・


『私がそちらに行けたらいいんだけど、お迎えはまだ来そうにないし。
やっぱりお盆まで待たなきゃだめみたい。お盆まであと3週間。
お母さんが帰ってくるのを、みんな楽しみに待っています』
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「私がそちらに行けたらいいんだけど・・・」
神谷通信は、大きな川を隔てた向こう側、彼岸に渡った母親への、此岸に住む娘からの手紙。
手紙を届けるのは、狐面を被った弟の役割。墓石の前に何通もの手紙。どうやって川の向こうに届けるのか。河童と友達になったのもうなづける。
手紙はちゃんとお母さんに届いたようだ。手紙を読む声に、子供を慈しむ気持ちが滲む。
きっとお盆には、お母さんのぬくもりを感じる事だろう。


◆「虚仮の一念」(こけのいちねん):
愚かな者が一つの事だけに心をかたむけ、やり遂げようとすること。
◆「彼岸」(ひがん):
仏道に精進して煩悩を脱し、涅槃(ねはん)に達した境地。
◆「此岸(しがん)と彼岸(ひがん)」:
仏教では、人の住む世界を「此岸」(しがん)と呼ぶ。
仏の世界は大きな川を隔てた向こう側にあるとされ、「彼岸」(ひがん)と呼ばれる。
人は死後、彼岸へ行くと考えられ、そこでは、煩悩に煩わされることなく永遠に平穏無事に暮らせると考えられている。

(参考)ニコ動に《神谷通信》がアップされている。
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米山よりこ あうこと-Adhere-

米山よりこ あうこと-Adhere-  ポジション2016 アートとクラフトの蜜月
期間: 2016年1月5日(木)〜2月21日(日)
    ※1月10日(日)米山よりこトーク
場所: 名古屋市美術館

米山さんの作品を拝見するのは、2014年秋の古川美術館《つむぐけしきよむこころ》以来だ。
名古屋市美術館の2階展示室に入ると、目の前に《こめのゆめ》が広がる。その両側には、白居易の漢詩が、和紙の切り抜き文字で貼り付けられている。この手法の作品は、古川美術館での展示から始まったものだ。
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右側の壁には、六曲一隻(ろっきょくいっせき:6枚の折り畳み面)の屏風が架かっている。表層の紙は剥がされており、細かな文字が書かれた勘定帳(かんじょうちょう:江戸~明治の会計帳簿)らしき紙が、下張りとして使われているのが見える。特に貴重な品という訳ではなく、どこにでもある、“古い”表具を持って来て、切り抜き文字を張り付ける為の台としたそうだ。

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反対側の壁面には、文字を切り抜かれた紙を壁面に直接、貼り付けている。
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「日本の表具は、木の枠に勘定帳とか古い紙を沢山貼るんですけど、表の絵は、それにしっかりくっつけないで、いつでも剥がせる様にしています。部屋に合わせ、絵の貼り替えができる様に」

今回の展示は、「接着」をテーマにしていると説明をしていたが、くっつける事だけでなく、剥がす事も同じ様に大事なのだとの考えに興味を惹かれたそうだ。
切り抜き文字は、白居易(はっきょい:白楽天の字(あざな)でも知られる)の漢詩『和夢春遊詩一百韻』からのものだが、一般には、「合者離之始」(会うは別れの始め)の言葉でよく知られている。
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「この世で出会った人とは、いつか必ず別れが訪れる」
出会いは必ず別れをもたらすとの世の無常を表す、と表層的には言われるが、その本来の意味は、
「別れの悲しみや、愛のはかなさをあらわすが、それは出会う喜びがあったからこそである。始めがあれば終わりがあるのが世の常ならば、別れがくるまでの時間を大切にすることが大事」なのです。
 「接着」という言葉に於いて、貼る事と剥がす事が同義だというならば、「会うは別れの始め」の文脈に重なって来るのでしょう。

《こめのゆめ》が、左右の壁にある八居易の漢詩の切り抜き文字に挟まれて展示されているのも、象徴的です。日常生活の中で、余って捨て去られるところを拾われ、絹糸にくっついて、作品に生まれ変わったお米達です。今、日本では、食品廃棄の量の多さが問題になっています。本来食べられた筈の、食べ残しや売れ残り食品は、年間数百万トンにもなり、日本人1人当り、おにぎり換算で1~2個分を毎日捨てている事になるそうです。
人々の舌を楽しませる為に生まれてきたお米達ですが、かなりの数のもの達が、本来の目的を叶える事なく、ゴミとして焼かれたり埋められたりしています。そんな中で、《こめのゆめ》のお米達は、人々の舌を楽しませる代わりに、目を楽しませるという新たな役割を担い、いつかは朽ち果てるその時までを大切に生きていく。それが彼らの(こめの)夢。

《こめのゆめ》の中に足を踏み入れ見上げると、天井から垂れ下がった米の糸が、小糠雨の様にも見え、しんとした静けさに身を包み込まれる雰囲気を味わえます。足元には雨が作りだした水溜りの様に、鏡が置かれています。
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もう少し奥に進もうと思ったのですが、関守石に止められました。
(※関守石(せきもりいし):「これより中に入ることは遠慮されたし」の印)
       関守石
米山さんの作品の面白いところは、この様な細やかな仕掛けですね。

**************

今回の展示で気になったのは、美術館のホワイトキューブの中では、お米と和紙の白さが目立たなくなった事。以前、七ツ寺共同スタジオや古川美術館為三郎記念館での展示の様な、くっきりとした米の糸を見る事ができず、少々残念。

飯山 由貴 《Temporary home,Final home》

飯山 由貴
愛知県美術館 APMoA Project ARCH vol.16
《Temporary home,Final home》 2015.8/7-10/4

 飯山さんの作品展示室前の壁に、《自分の人生を生きる》という文字のネオン管の作品が展示されていた。
[解説]: 「本当に、自分の(自分だけの)人生を生きることってできるのだろうか?」
 展示室には、5点の映像作品を展示していたが、その中でも《あなたの本当の家を探しにいく》と《海の観音さまに会いにいく》に興味を惹かれた。
 8/9には、愛知県美術館でアーティスト・トークがあり、作品制作への取組みや考え方等を聞くことができた。作品の中には、飯山さんの家族の方々が出てくる。妹さんは、精神の病を患っており、時折、幻聴や幻覚の症状が表われるらしい。
<飯山 由貴 さん>
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(※参考:解説資料&飯山さんHP&トーク)

《あなたの本当の家を探しにいく》 
 ある秋の夜、妹さんが「この家はわたしの本当の家じゃない」と泣き出し、「本当の家」を探しにパジャマ姿で外に出ようとした。今日は雨だからとか、外は危ないからと言って引き止めたが、飯山さん自身、このまま探しに行ってもいいのじゃないか、とも思った。翌月の夜、二人は、「本当の家」を探しに出かける事にした。飯山さんと妹さんは、ニット帽の上に小型のビデオカメラを装着し、夜の街へと出て行く。二人が撮影した街の風景は、歩きながらの会話と共に、スクリーン上に映し出される。

c「あ、月だ!すごい」
y「ぜんぜん意識してなかったけどきれいなときにあたったね」
c「さいきん月見てないからさ」
y「満月?これ」
c「ちょっと欠けてるのかな?」
・・・・・・
y「病気、そういうなんかさ、音が聞こえたり目に見えるようになったのはいつからだっけ?」
c「それはやっぱり、中学校、三年くらいかな」
y「学校にあんまり行けなくなったのはなんでだったの?」
c「いろいろあったけど、うーん、その場の空気についていけない、とか」
c「たのしくなくて おもしろくなくて ただ時間がだらだら流れていっちゃって わたしなにやってるんだろうっていう」
・・・・・・
y「ねえ、なんかすごい、イルミネーションがついている家があるけど」
c「あ-もう、クリスマスですね・・・」
y「あそことかは、本当の家っぽい?」
c「うーん、そう なんかこういう家ってあこがれていた」
本当の家探しumblr_inline_mxatpfzHDb1s36v6a_convert_20150822205807
・・・・・・・・
y「よくほら、たまにあなたどっか行っちゃうじゃん 夜に
 家飛び出しちゃうじゃん あれはどこ行くの?」
c「ここまではこなかったけど 来たかったんだけどここまで 靴下でいったから」
y「寒かった?」
c「寒かった 寒くてもどってきた」
y「あっははは 寒くてもどってきたんだ よかったよかった」
・・・・・・
y「なんで、あのとき、本当の家はここじゃない、って思ったの? いつも思ってるの?」
c「いつもは思ってない」
y「わたしとお母さんがケンカしたから?ケンカっていうか、ぐちゃぐちゃ汚い言葉を言ってたから?」
c「それはあるかもしんない」
・・・・・・
y「その なんで精神科の病院に、行くことになったの?」
c「症状が、どの科に行っても、異常なし、って言われて、それでも、
 いろんな、音とか声とかみえたりとか聞こえたりとか するから」
c「自分、病院、嫌だったけど、いろんな科まわされるの、嫌だったけど
 この症状、この今の状態をね、知りたいから、どうなっているかを
 どんな、病気なのか、病気じゃやないのかっていうことを 知りたいから、
 病院紹介されたのを 精神的なことからくるんじゃないですか、
 っていわれて、心からくる」
y「最初心身症っていわれてなかったっけ?」
c「心身症 そう 身体表現性障害っていわれちゃったんだけど」
y「あれ、それは何歳くらい?」
c「それは、6年生のとき」
・・・・・・
y「なんかあんま日本ぽくない家がいいの?」
c「日本ぽくない家がいいの、なんか北欧にありそうな」
y「いやだからね さっきから、あなたの その ほんとうの家って、
 ムーミンハウスなんじゃないかなって 思って」
c「あっはっはっは それは・・もう、ぶっちゃけそうだけど」
y「ムーミンハウスがあなたの家なの?」
c「うん・・・」
y「あ、そう・・・ぶっちゃけられちゃった」
c「でも わたしムーミンじゃないし 人間だし」
y「じゃあムーミンになればいいんじゃん?」
c「ムーミンになっていいの? ふふふ」
y「(ムーミンは)妖精でしょ?生きながらにして妖精になればいいんだよ きっと
 で、そうだ、そうだよ、自分がすんでいるところがやっぱり本当の家なんだよ」
c「うん、あれがムーミンハウスなのかな」
y「うん、うちがムーミンハウスなんだよ あなたがムーミンだったら」
c「うちの家って、青い屋根じゃん?」
y「うん、青い」
c「だから、ムーミンハウスに近いのかなって」
※参考:ムーミンハウス  ムーミンハウス
・・・・・・・
c「青い屋根が見えると、あ、うちだって なんか なんか うん
 お母さん、家族が待っているんだなって」
y「そんなこと思うの?」
c「うん なに どうしたの?」
y「いや、そんなこと言うから 思ってもみなかった」
・・・・・・
y「どうするの?ここ家だよ」
c「家だよ 帰ります」
y「帰るの?」
c「ここがわたしの家だよ」
y「それでいいの?」
c「うん」
y「わかった」

***************************

 この作品は、飯山さんと妹さんが、頭にビデオカメラを取付けて、夜の街中を徘徊しながら撮影したふたつの(二人の)映像を重ねて映したものです。ひとつの映像だけなら、どこにでもある普通の夜の街の退屈なシーンだったと思います。でも、重ねる事で、似たような風景だけど少しずれていて、揺れ動きながら互いに絡み合い、時折、隣を歩くお互いの姿も写っていたりして、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
 飯山さんは、ふたりで「本当の家を探しに」行こうと言って、現実から乖離した妹さんの幻覚の世界に、自ら分け入って行きました。揺れ動く映像は、中々見つからない本当の家を探しながら、夜の街を彷徨うふたりの心象風景に見えます。歩きながらの飯山さんの語り掛けは、妹さんの暗く閉ざされた心の扉を少しづつ開いていく作業です。外から思い切り扉を叩いたり、大声で呼びかけるのでなく、ほんの少し開いた扉の隙間から囁きかける感じです。それで精神の病が治るわけでは無いですが、そのままでもムーミンとなって、自宅をムーミンハウスとすれば、現実の世界での居場所を確保できるわけです。
 飯山さんの寄り添う様な語り掛けに、何だかほっとします。

※参考:ムーミン一家(ムーミントロール、ムーミンパパ、ムーミンママ)
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《海の観音さまに会いにいく》
(※解説資料)『「本当の家」を探しに行った後、あれって何だったのかな、と妹と2人で話をして整理しました。すると、自分は妖精の姿になって、ムーミンたちと一緒に難破船を見に行ったり、海の観音さまにお祈りをしにいっている、という事を教えてくれました。それでは、こんどは家族で一緒に再現をしてみよう、と誘ったら、彼女はやる気になってくれたので、やってみることになりました。』
 飯山さん一家は、ムーミンの着ぐるみを着て、観音様にお参りします。着ぐるみや小道具、機材などは、飯山さんが準備し、撮影場所や観音様にお参りする時の行動や言葉は、妹さんが考えました。撮影中の行動は、妹さんの指示に従います。飯山さんはムーミン(トロール)、お父さんはムーミンパパ、お母さんはムーミンママ。妹さんは、自身がデザインした「妖精」(とがった鼻、口の無い顔、背中にアゲハ様の羽根)。
 飯山一家は、ムーミンファミリーになり、海の観音様にお祈りに行きます。
飯山由貴ムーミン一家と観音様1
飯山由貴ムーミン一家と観音様2

「ではみなさん 行きますよ」
-はーい
「さかなをもってるんです この観音さまは 海を守ってるんです」
-じゃあ、ぼくたちも守ってくれるのかな
(観音様の前で、みんなで頭を下げる。)
「では、私がお願いごとを言いますので、続けてこう言って下さい。」
「ここ おだわら はこね ムーミン谷」
-ここ おだわら はこね ムーミン谷
「ともに」
-ともに
「平和と 幸せを」
-平和と 幸せを
「守りつづけるよう」
-守りつづけるよう
「お願いいたします」
-お願いいたします

「みなさん (お賽銭を)投げおわりましたか」
-あ、まだまだまだ
「いいですね ではもういちど、観音さまに一礼しましょう」
 (一礼します)
「ゆっくり頭をおこしてください」

◇海の観音様に会いに行った翌日、現実と幻聴・幻覚がみえる状態のあいだにいるような時の会話
c「フローレンとムーミンがもうすぐ結婚するの
 そしたらわたし、ムーミン谷から離れなきゃいけないの」
y「妖精さんが離れなきゃいけないの?」
c「うん」
y「なんで?」
c「冬が来ると、妖精さんは春の国に行くの
 ムーミンとフローレンは、冬のまえに結婚して、冬のあいだ眠って、また春が来るのを待つの
 スナフキンも、春のほうに 春のほうに旅立つから、途中までは一緒
 でもわたしはちがう」
y「みんなそれぞれ別のところに行くんだ」
・・・・・・
y「木苺(きいちご)ジュースが来ましたよ」
c「木苺ジュースかんぱい
 ムーミンママの今年最後の木苺ジュースだ」
c「春になったらここも、ムーミンママにも会えるし、パパにも会えるし、ムーミンにもあえるし、
 フローレンにも会えるし、フローレンとムーミンのあいだにできた子にも会えるし
 ムーミンとフローレンのあいだにできる子の名前、ここが春になるまでに、考えとかなきゃ
 妖精は 結婚できないから」
y「妖精さんは結婚できるんじゃないの 妖精さんは妖精さん同士で結婚できるよ」
c「わたしはできないの 結婚できない 妖精の種類なの」
y「そうなんだ」
c「幸せになってはいけないの」
y「そんなことないよ、妖精さんは、幸せになれるよ 妖精さんは幸せだと思うよ
 妖精さんはいま、自分が不幸だと思うの?」
c「うん」
y「どうして?」
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c「妖精さんは、人や動物とか 生き物に、幸せを与えるものなの」
y「いろんな人に幸せを与える」
c「与えて、与えてね、私の種族は、そういう、幸せを与えて、不幸になってもいいくらい、なの」
y「妖精さんは自分が不幸とか幸せとかは関係なくて、その、いろんな人に幸せをもたらすために
 不幸になるの?」
c「幸せをもたらして、いつのまにか不幸になってるの」
y「妖精さんが幸せで、自分の幸せを人にわけるんじゃだめなの」
c「わたしの種族はそうじゃないの」
y「でもその種族のなかにもさ、突然変異のひとはでてくるかもしれないじゃない
 もしかしたら妖精さんは、自分が幸せで、その幸せをすこしずつ人にわけられる種族、突然変異のひとかもしれないよ」
c「そうだといいんだけど」
y「ぼくはそうだと思うけど」
c「そうだといいね」

c「やっぱりムーミンママの作った木苺ジュースは、おいしい」
y「おいしい? ぼくもこれすき」

***************************

 《海の観音さまに会いにいく》では、妖精となって観音様にお祈りする時の妹さんの楽しそうな雰囲気に対し、翌日の会話で見せる、沈鬱な表情との落差が気にかかる。ムーミンの世界にいると落ち着いて幸せな感じでいられるが、現実の世界に引き戻された途端苦しみが始まるのだろうか。
 幻覚を見る事が悪い事なのだろうか、との思いがある。飯山さんは、妹さんの幻覚の世界に寄り添い、一緒に現実の世界から少しはみ出しながら、落ち着き場所を探している。

***************************

今回の映像インスタレーションの配置は、展示室内部を柵のようなもので仕切っています。
※検討案の写真
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※柵越しに映像を見ると
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 飯山さんは、作品制作の前にそれに関連したリサーチを行います。精神医療に関しても、かなり詳細な調査をしたそうです。展示室内には、それら調査資料も閲覧出来る様になっていました。

 昔は、「精神病者監護法」なるものがあって、精神病者を自宅に留め置く「私宅監置(したくかんち)」と言われる制度があったそうです。座敷牢みたいなものでしょうか。1950年に法律改正で、その制度は禁止されましたが、その後もしばらく不法な監置が行われていたそうです。
※私宅監置例私宅監置例convert_20150822205645

 今回は、それをヒントにして、格子の柵の様なもので展示室内を構成しました。

米山和子祖父江加代子 《つむぐけしきよむこころ》 その2

<その1>から続く
「瓢の間」の襖を隔てた隣に「かげてらす」。
黒のレースカーテンを分けて祖父江さんと中に入りました。
部屋の中央に黒いテーブル、その上に白い巻紙を敷いて、銀色のステンレス盆をのせる。
テーブルを挟んで向かい合うように二人が座る設定です。葵の間の「かしもぐさ」は、ひとりのお茶会を楽しむ部屋でしたが、ここは二人用。
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廊下と部屋を隔てる黒いレースカーテンは、部屋を少し薄暗くして秋の夜を演出しています。カーテン生地の上に、黒い線で葉と枝が描かれていますが、襖に描かれた同じ図柄を、祖父江さんが、ご自身で描いたのだそうです。部屋の中の明かりと言えば、テーブルの上の小さな蝋燭の火と月明かりに見立てたライトのみ。テーブルの横にある水を入れた小さな器は、ライトの光を反射して、天井に四角の薄明るい光の波模様を映し出し、あたかも庭の池が月の光を反射しているような幻想的な雰囲気を漂わせます。
 隣の「茶の間」は、「こめのめぐみ」。
 何かの祝杯なのでしょうか、秋も深まった部屋で左右に席を配置し、酌み交わすお酒の水滴の様な器が、手に面白味を伝えます。席の合間の奥には、黒の台の上に黒い大きな盃。天井から垂れ下がったこめの糸のひとつひとつの粒は、恵みのお酒の滴となって、盃を満たすのでしょう。実りの秋を愛でるのか、ふたりの間のお祝いごとなのか、部屋を満たす芳醇な香りが満ち足りた日々を包み込みます。
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 「そうそう、米山さんを呼びましょうね」
 米山さんとお会いするのは、3年振りです。2011年の名古屋市美術館での「ほどくかたち、つむぐけしき」展の後で、いろいろお話を聞かせていただきました。こうしてまた、米山さんの作品を前にすると、何だか懐かしい気分になります。
 「ずいぶん、お久しぶりです。来ていただいてありがとうございます」
いえいえ、こちらこそ楽しませてもらっております。

「間想の間」の「いろはなく」は、3年前の展示を思い起こさせる女性の立像です。この部屋は、中庭を望む位置にあるので、間想の間となっているそうですが、作りが変わっていて、壁が赤色です。それだけに、立像作品の白との対比が際立ちます。使っている素材は、吉野の手漉き和紙ですが、この様な形にする前には、和紙をいちど“ほどく“作業があるそうです。手漉きによって繊維を絡ませ、紙板の上で乾燥させて出来た和紙を、米山さんは、その工程を遡るように、水につけて繊維の絡みをやさしくほどき、改めて造形の作業に入ります。肩から胸にかけてのやわらかな曲面や、左の肩紐から足元までのしっかりしたドレス部分は、その様にしてできるのですね。
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 1階から階段を降りた先の茶室「太郎庵」には、地面を流れる水を表現した作品「にわたづみ」があります。この部屋の雪見障子を通しては見えませんが、「爲春亭(いしゅんてい)」の庭に、湧き水の様な小さな滝があり、そこから庭を横切るように水の流れができています。
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四畳半の部屋の中では、床の間の掛軸から、湧き出る様に流れる小さな滝、そこから広がる滑らかな流れや波打つ水の表面を和紙で形づくり、まるで、庭にある水の流れを部屋の中に持ち込んだかの様です。
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 この後、米山さん、祖父江さんのお二人と桜の間で、お抹茶と和菓子をいただきました。この展示期間中は、米山さんデザインの和菓子も特別メニューとして用意されています。
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 受付から外に出て、庭に回ると、茶室「知足庵」が見えてきます。中に入る事は出来ませんが、窓から中を覗く事ができます。
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庭から見た「爲春亭」です。外から作品を眺めるのも一興です。
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屋内で作品を鑑賞し、お抹茶と和菓子を堪能し、はたまた庭に出て、窓越しに作品を眺めるなど、「爲春亭」は、いろいろ楽しめそうです。

※注)美術館での撮影は本来禁止ですが、今回は、事前に美術館の了承を得て撮影しました。

米山和子/祖父江加代子 《つむぐけしきよむこころ》その1

米山和子/祖父江加代子 《つむぐけしきよむこころ》
                    2014.10/18-12/14
                  
名古屋市千種区の幹線沿いから少し奥に入ったところ、街中では少ない緑に囲まれた住宅地の中に、古川美術館の分館為三郎記念館があります。ここは、実業家で美術コレクターでもあった故・古川為三郎氏が晩年を過ごした邸宅を美術館の分館として公開したものです。IMG_7595_convert_20141028222934.jpg
住宅地のなかにある為、この様に看板を出していなければ、うっかり見過ごすか、入るのを躊躇しそう。
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入り口には、この分館の説明板がありました。
『初代館長古川爲三郎の遺志をうけ、その居宅を平成七年十一月三日より、古川美術館分館として開館いたしました。数寄屋造りの「爲春亭(いしゅんてい)」を中心に、爲三郎が愛した六本の椎の木などの樹々が繁る庭には茶室「知足庵(ちそくあん)」や仮設の舞台が備えられています。』
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展示会チラシも。
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数寄屋門をくぐりますと玄関が見えます。ここから入る事は出来ませんが、展示の一部が見えます。和紙を使った作品は、米山さんのものですね。
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右手の受付から入りますと、玄関が見えてきて、その上り框のところに、厚い松板が寝かせてあります。これは、和紙を漉いた後、この上に広げて乾かす「紙板」で、300年程使い続けたものだそうです。繊維が浸み込み、うっすらと白ずんだ表面に、紙を切り抜いて作られた和歌が、貼り付けられています。

あしひきの 山あいにふれる しらゆきは すれる衣の ここちこそすれ

となりには、中央を絹糸で持ち上げられた横長の和紙が広げられており、この歌から感じた景色を、形で表現しているようです。
 米山和子さんは、この様な和紙を使った造形作品や米を使ったインスタレーションで、注目されている現代アート作家です。この展覧会を楽しみにしていた方も多いのではないでしょうか。

そしてもう御ひとかた、祖父江加代子さんは、空間コーディネーターです。次の「葵の間」は、「かしもぐさ」(雨のふるをいふ)と題がつけられた、祖父江加代子さんコーディネートの空間です。
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 部屋の中央に黒いテーブルが鎮座し、その上には、茶道具一式をのせた銀色のステンレス盆が置かれています。テーブルの四隅には、雨だれを思わせる米の糸が天井から吊るされ、黒(テーブル)、銀(盆)、白(米の糸)の3色が、この和室空間をひきしめます。

 「大桐の間」は、米山さんの「こめのゆめ」です。2010年あいちトリエンナーレ共催展、七ツ寺共同スタジオでの展示も拝見しましたが、薄暗い舞台を背景に浮かび上がる白い米粒の連なりに心惹かれました。この白い粒を「こめ」といいましたが、近づいてみるとすぐわかります。わたし達が毎日食べているご飯粒を乾かした、糒(ほしい)です。まだ柔らかいご飯粒を絹糸に通し、乾かしますと半透明の粒の連なりとなって、光を柔らかく反射します。
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 二間つづきの和室の間に、山並みを形どった欄間があります。こめの糸は、山並みを吹く風や降る雨の景色を表現したものの様です。天井から垂れ下がるこめの糸は、水滴のつらなりを感じさせますし、床の間から反対側の天井へとのびる糸は、谷合をながれる風を見ているようですね。また、床の間で一束になったこめの糸からは、白糸の滝を連想します。
 これらこめの糸によるインスタレーションは、ふたつの線、垂線と懸垂線により構成されています。懸垂線は、日本建築では「縄だるみ曲線」とも表現され、自重により自然に紐が弛むときの曲線を言います。吊り橋の形状もそれに当たります。米山さんの作品が、全体にしっとりと落ち着いた印象を与えるのは、円弧や放物線等の幾何学的な形状ではなく、この懸垂線を使う事によるものなのでしょう。

次の「瓢の間」は、祖父江さんの「みのり-豊穣の宴」です。
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実りの秋、稲の刈り取りも終わり、一息ついた頃の何かのお祝いの席でしょうか。輪島漆のお膳には、白い紙が一束置かれ、その上には稲穂が一本のせてあります。紙は神に通じるとして、神聖なものとされています。お膳の黒と紙の白の対比が美しく、こうべを垂れる一本の稲穂が豊かな実りを感じさせ、これから始まるであろう宴に華やかさを添えます。
この瓢の間は、襖を隔てた隣に「かげてらす」があります。廊下に面するところは、黒いレースカーテンが掛けられていて、入って良いものやら躊躇していると、
  「どうぞ、お入りになって下さい」
声をかけられた。祖父江さんだった。
         ・・・・<<<その2>>>に続く。

※注)美術館での撮影は本来禁止ですが、今回は、事前に美術館の了承を得て撮影しました。
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Author:ゆでたまご
鑑賞者の目で現代アートを探求

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