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ファン・デ・ナゴヤ2016 「新ナゴヤ島」

ファン・デ・ナゴヤ美術展2016
期間: 2016年1月8日(金)〜1月24日(日)
場所: 名古屋市民ギャラリー矢田
今回のもうひとつのプロジェクト展示は、「新ナゴヤ島」です。
企画:N-mark
出品作家:
石田達郎、北山美那子、クロノズ、竹田尚史、徳重道朗、森田美里、山下拓也
友情出展:加藤良将、鈴木優作、他

「N-mark」選出の現代アート名古屋オールスターズだろうか。
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新ナゴヤ島の解説は、以下です。(既にご存知の方はスキップして下さい)
『この地図は我々アートリサーチ団体「N-mark」が新たなアートの可能性を求めて、アート界の秘境「新ナゴヤ島」を探検した成果である。1998年-あいち諸島カスガイ島、神領港を出港した。その航海は数年に渡り、幾度も大きな嵐に見舞われた。帆は破れ、羅針盤はその機能を失っていた。霧が立ち込める日が幾日か続き、食料も底をつきかけたその時突然、霧が晴れ渡り我々の目の前に巨大な島が出現した。 上陸した我々が最初に出会った女性アーティストは2階建て住居を身にまとうように、2階の床から上半身を、1階の天井から下半身を出し、身体から白い液体をたらしていた。それは儀式のようなアート作品「hanky panky pancake」であった。そこには多くの原住民が集まり、そのしたたり落ちた液体を焼いて食していた。ここにはアーティストが生きるための豊かな環境があり、それを必要とする原住民が生息していることを確認することができた。この島にはアートにまつわるすべてのものが揃っている。このアートにとって豊かな秘境を我々は「新ナゴヤ島」と名づけることにした。その後も探検の中で多くのアーティストと遭遇した。しかし彼らは他のどの地域とも異なる独特な作品を創りだしていた。長い年月発見されることのなかった島の中で、アーティスト達は独自の方法で生き抜き、進化を遂げ、それぞれの生態系を築いていたのだ。 このガラパゴス化した新ナゴヤ島には、あらゆる情報が共有され均一されるグローバル時代において、唯一オリジナルの表現や個性を育む土壌がある。そこに生息するアーティスト達それぞれの物語をこの展覧会では見ることができるかもしれない。 この地図は、N-markが大きな嵐に見舞われ続けてきた時代に、霧の中でぼんやりと見た新ナゴヤ島の地図である』
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《KURONOZ(クロノズ) 》・・・作品名称兼アーティスト属名(本名:クロノヤスコ)
黒髪ロングヘアのウィッグ+黒縁メガネ+水色ワンピース(+真っ赤な口紅?)で、誰でもクロノズに変身できる。「クロノズ化した来場者は会場を一瞬にして異空間にしてしまう」らしい。内覧会でのオープニング・パーティにも出現していたが、男性の変身に至っては確かに異空間。
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《NEPENTHES(ネペンテス) 》 加藤良将
ネペンテスとは、赤道付近に生息する食虫植物(ウツボカズラとも言う)です。筒状の捕虫袋を持ち、入って来た虫を逃さない様に、パタッと蓋を閉じてしまうやつですね。この作品も、蚊帳(知らない方の為に→夏の睡眠時の虫よけ網)が天井から吊ってあり、人が「何だろう」と立ち止まっていると、パタッと網を被せてしまいます。
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《私はいつも旅をしている》 竹田尚史
竹田さんの作品は、先回のあいちトリエンナーレでも拝見したが、特徴は、「測り」。ああ竹田さんだ。
今回は、頭の中で起きている旅の様子、なのだ。
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《捨てられた子ども》 北山美那子
「アーティストの言葉」
『”結局どこにも行かないで、ここにいるよ。ここで、世界にも珍しい場所を作っていこう”こことは、名古屋市守山区にある東谷山、名古屋市で一番高い山といっても260m。しかし、ここには、ニホンカモシカ、ニホンキツネ、ニホンリス、ムササビ、ノウサギ、イノシシなどの野生動物がいます。かつて、日本の森には野生動物がいないから死んだ森だ、絶滅したのは森で遊ぶ日本の子どもだ、と言われた。しかし、ごんぎつねは帰ったし、子どもらの声も響くようになった。それは、山を一つの塊として街から眺めるのではなく、いつかは頂上につながる緩やかな道筋の中に身を置いた時にみえてくる。私は、展覧会の度に山の不法投棄物を拾い、ゴミの晴れの舞台を作り、ギャラを処理費用に当てていく事にしました』
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《いつ、どこで、だれが、どうした》 石田達郎
物干しラックに布団をのせたものと、2014年作品《斜面の集落》のインスタレーション。これに本人のパフォーマンスがミックスされる。
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《六甲オリエンタルシャムロックちゃん》《ばいばいの写真》 山下拓也
床には無数のシャムロックちゃんが横たわっている。シャムロックとは三つ葉のクローバーの意味だそうで、2005年愛・地球博アイルランド館のゆるキャラ・マスコットでした。部屋の奥の壁には、今は営業を停止した、六甲オリエンタルホテルの画像が写る。ホテルのカーテンが、びりびりに切り取られている。床に横たわるシャムロックちゃんは、この生地で作られているらしい。山下の作品には、こういった使われなくなったマスコットがよく登場する。一時は、イベントのマスコットとして生命を与えられたものが、その終了と同時に忘れ去られてしまう。
副田一穂は、こう説明する
『商品やイベントのマスコット・キャラクターたちもまた、商品の販売が終わり、イベントが閉幕すると、倉庫の片隅で忘れ去られてしまう。まさに横浜フリューゲルスのとび丸が、出資会社の経営上の都合という大人の事情によって活躍の場を失ってしまったように。彼らはごっこ遊びのなかで「正しく」死ぬことができないまま取り残され、しかもその遊びが再開される見込みはもはやない。こうして、キャラクターたちは生と死との狭間で永遠に引き延ばされた停止状態となる』
そしてこれを「アンデッド(不死者)の群れ」と表現した。
プロジェクタに映る六甲オリエンタルホテルも似た様なものかもしれない。開業以来、70年以上続いた老舗の高級ホテルではあるが、某ホテルグループ傘下で経営統合、閉鎖された。外資への売却の話も出たが、現在に至るも閉鎖状態のままにある。アンデッドのままなのだ。
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《N-mark Open Office》 N-mark 
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《GLOBAL SUIT》鈴木優作
鈴木は、世界の山ちゃんから手羽先の骨を提供いただき、自身のアートスーツを作成。
遠くからだと稲わらで作った様に見えるが、全て手羽先の骨を使用して作成している。これを着て展示会場内でパフォーマンスもやるそうだ。「新ナゴヤ原人」などと名前がついたらしい。
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《h123》 徳重道郎
「アーティスト説明」
『日常のなんでもない風景が、ちょっとしたきっかけで、全く違った風景に見えることがある。例えば狭い空間なのに、そこに世界や宇宙を感じたり。今回の作品では、それぞれ別の世界に属するものを高さを揃える事で一つの空間の中に配置した作品。狭い空間に特別な空間を生み出している』
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《赤の後》 森田美里
タイトルの“赤”は、2014年の個展《山をつぶす人》の作品が、赤を主体としている事に由来するのだろう。森田さんは、元々芸大での専攻は絵画だったが、学生時代から現代アート(の立体)に走ったそうだ。
これまでは、ティッシュを千切って接着剤と混ぜたものを材料に、牛に似た形態の想像上の生物を作ってきた。異形の生物とでも言うのか。

※参考) 《Kidnap》2013年            《Golden slumber》2013年
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※参考) 《山をつぶす人》︎2014年
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今回は、新聞紙を主体に接着剤で固め、その上に主に青系統で着色している。先回は、赤が印象に残る作品だったが、今回は、ブロンズの様な青が主体。うっすらと新聞記事も見える。
ブルーシートを使った小山の上に、3体の異形の生物が乗っている。どれも皆、不安定な足場にぐらつきながらも必死に立ち上がり、空に向かって吠えているかの様だ。これまでが、牛を思わせる形態で、どっしりとした安定感を見せていたので、随分と変化を感じさせる。肌触りも、従来は、もこもこ感があったが、目の前の3体の皮膚は、ぬめぬめとべたつく様な湿りがある。
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森田さんに聞いてみた、
-ブルーシートの山に載せたのは?
「アトリエで使っているブルーシートをそのまま持って来ました。普段どんなところで作品制作をしているか見せようと思って」
(※シートの下には、小さな粘土ドローイングの人形様のものも置いてあった。横にはバケツ等もおいてあり、アトリエにあるもの全部もってきて積み上げた様な山だ)
-(想像上の)動物と思うが、足が、3本~5本あるし、皮膚感も従来と違いますね。
「本当になかなかうまく行かず、基本から壊した事もある。(足5本の)これは倒れてしまうので大変だった。」(それで足を1本追加した?)
-新聞紙の部分を削り取る様な事を?
「中の支持体も、エイッて折ってしまった事もある」
「でも、これが最後なので多くの人に見て欲しい」
-え?最後とはどういう事ですか?
「立体は、これが最後で、今後は絵画をやろうと思っている。これまで描いていないけど」
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そう聞いて改めて作品を見ると、作家の苦悩する姿の投影にも思えてきた。
個人的には、森田さんの異形の生物の感じが好きだったので、少々残念だが、今後の作品に期待しよう。

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ファン・デ・ナゴヤ2016 『日本 家』

ファン・デ・ナゴヤ美術展2016
期間: 2016年1月8日(金)〜1月24日(日)
場所: 名古屋市民ギャラリー矢田
今回は、二つのプロジェクトが展示を行っています。そのひとつが、
<<記憶のはがし方プロジェクト『日本 家』>>です。
(企画・出品:鷹野健、阿部大介)

4階の展示室入ると、部屋いっぱいに青い家が建っていた。
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家の形の骨組みに、奇妙な青いシート状のものが張り付いていますが、これは、版画技法のひとつである“はがし刷り”という方法で作られたそうです。
今はもう住む人のいない家屋の外壁に、青いインクを塗り、その上に樹脂(ボンドの様なもの)を塗って、完全に乾いたら、壁から薄い樹脂の層を剥がします。表皮の様に薄く固まった樹脂は、青インクも付着させながら外壁の細かな凹凸を写し取り、その質感や痕跡を見せてくれます。
外から見ると何だかよくわかりません。外側は、塗った樹脂の外表面なので、つるっとしているだけです。外壁の表面を写し取った側を見るには、青い家の中に入ります。
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結構、大きいですが、実際の家よりも縮小したサイズだそうです。屋根部分が、四角いモザイク状になっているのは、瓦から剥がした部分だからですね。
窓ガラスのデザイン面の凹凸や、窓下のタイル張りの壁も見えています。一部の壁が白っぽいのは、何か裏打ちしているのか、それとも固まった樹脂を剥がす時、壁のモルタルも少々くっついたのでしょうか。
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家の中から、家の外壁を眺める事になり、ちょっと奇妙な感じもします。

はがし刷りの元になった家が、これです。
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「はがし刷り」技法の説明もありました。対象物にインクを塗って・・・
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樹脂を塗って、それが乾いたら剥がして・・・
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出来上がり(元が凸型、剥がした樹脂が凹型)・・・
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この作品制作はかなり大変だった様で、完成は、美術展の開始後、4日目だったそうです。
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1月10日(日)には、ナディアパークの7th Cafe で 『deep nightアートを話そう「記憶のはがし方プロジェクトをめぐって』があり、作品制作の考え方や制作状況などの話を聞きました。
司会の田中さんと阿部さん(右)、鷹野さん(中央)
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現地での作業風景: 家の外壁に青インクを塗り、その上に樹脂を塗る。乾いたら剥がす。
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ご苦労様でした。

味岡伸太郎「素材で表現する」(トリエンナーレスクール第10回)

味岡伸太郎 (「素材で表現する」トリエンナーレスクールNo.10)
2015年12月5日(土)14:00~16:00
穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース

あいちトリエンナーレ2016作家の味岡伸太郎さんによる、作品制作に関するトークがありました。味岡さんの土を使った作品の特徴や制作に対する考え方を、わかりやすく説明されていました。トークの全てではありませんが、その主要な部分を掲載します。

<味岡さん作品の予備知識>
味岡さんの「土」を使った絵画作品をご存知の方も多いでしょう。
2015年の展示は、
愛知ノート ―土・陶・風土・記憶― 愛知県陶磁美術館
            2015年1月10日(土)~3月15日(日)
味岡伸太郎展「旅へ」 ギャラリーサンセリテ(豊橋) 
            2015.10月31日(土)-11月23日(月)
等が、ありました。 ギャラリーサンセリテの展示風景です。
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<トリエンナーレスクールについて>
あいちトリエンナーレ事務局が開催している、美術に関する様々なレクチャーの場で、今回はその第10回。「素材で表現する」と題して、あいトリ2016のチーフキュレーター拝戸さんが進行役になり、味岡さんの話を伺った。
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以下は、味岡さんの説明です。(そのままor要約)

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<味岡作品の概要>
作品制作の元になる土は、崖に露出している土を、各地層毎に採取していきます。
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「土の露出しているところを、下から順番に取っていく。16段~20段とる。もっとたくさん取る事もある。
上から取ると土が混ざってしまうので、下の(地層)の方から、こういう風に、そのまま取っていきます」
「美術というのは、自分の描きたいものを、イメージを頭に浮かべてそれを再現する、或は、3次元のものを2次元に置き換える事をしてきた。僕の場合は、そうじゃなくて、自然(にあるもの)をそのまま塗るだけで、(作品に)したいなと思っています」

<土による絵画作品を始めたのは>
「25年くらいこの仕事を続ける事になった、そのきっかけから話をします。
いちばん最初の土との出会いは、ある時、東京にいるデザイナー仲間から電話がありまして、紙屋さんの色見本帖作りたいので何でもいいから絵柄を作り、それを印刷して、送ってくれと言われました。でも、時間が無い。3日後に仙台で講演予定があったものですから、その時に持ってこいと。
今ならコンピュータでデータをそのまま渡しますが、当時(26年前)は、写真撮って、現像して、プリントする必要があります。だから電話を置いた瞬間に作業を始めなくちゃいけない。しかたなしに写真の撮影セットだけ用意して、スタジオを出て撮影の場所に行く間にフッと見たら、そこに家を改造した時の赤土の山があった。その赤土の山を見て、これに水を入れて、こう、土を引けば、線を描けるし、絵具になって、残ったところは土の塊が出来て、立体になる。そういう事を階段を降りながらふと思った。結果としてこういうものが出来た」
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「それを三角描いたり四角描いたり、2、30回やったと思いますが、とにかく思いつくまま手を動かして、こういう状態のものを作ったんです。沢山出来たものをその後、版画にもしたり。こういう事をやって土と言うのものが、やっと自分の身近になってきた。絵を描く材料として、土が使えるんだと。(昔)洞窟に土で絵を描いたのは、定着剤として何を使ったのか、動物の油か植物の油かわからないけど、そういうものを使えば絵具になる。色の粉があって、そこに接着剤か何かつけて、紙や板や布に描けば絵になるんだ、という。何を描くかが問題で、絵を描く行為をしてる人は皆思う事ですが。学校で教えられるとか体験として知っている事ではない、(身をもって知る事)。体を動かして初めて土と言うものが、絵の材料になる。それは平面にも立体にもなるという事を目覚めさせてくれたのはこういう事だった」

<富士山麓地質調査>
「すぐその後、富士山の麓であるイベントをやる事になりました。
富士山の麓で何かしてくれ、でこんな事を思いついた。屋外ですから描いたものを持っていくわけに行かない。そこの牧草を取って、そこに側溝を掘って、それを振るいにかけてみよう。その振るいは、順にメッシュを倍々にして土を振り分けて、我々の立っている大地が、どんな状況で成り立っているか。富士山の前で小さい富士山をいくつか作ってみようと、こんなものを思いついたんですね。結果、この様なものが生まれてくる。こちらから細かい富士山で順番に(荒く)なっていく。こっちが掘った穴で、そこからでた土をムサビの学生10人くらいで、朝夜明けと共に始め、10時間労働して、10日かかりました。美術家がこんなに重労働かと思った。ただの肉体労働でした」
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「始めの想定では、同じ山ができたりと考えていたが、掘ってみてすぐわかった。殆どが火山灰。とっさにプランを変えて、細かい粒子を左側に、(粒子の大きさ)順に作って最後は、石を置いて、手でふるいにかけられる大きさ、こんなんが(富士山から)飛んできたんですね」
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<COLOR SAMPLE>
「その後、名古屋でやった展覧会がこれです。(1991「無冠の表現回路、エコロジーアートへ」)
土って色があると、この展示を頼まれた時に思ったんです。東三河周辺の豊橋市の境あたり、なぜ境目かと言うと、街中で土を掘ったりできないから。境目なら人が住んでなくて、露出してる可能性があるので、そういう所で土を集める事が多くなります。並べ方はこうですね。自然の土を、90cmくらいの正方形で厚さ5cmくらいに敷いた。展覧会場の担当の人は、「何が並べてあるんですか?」と聞かれる事が多かった様ですね。絵具使ったんですか、顔料使ったのですか、といわれたらしいです。土をこの地域から取ってきただけでも、土の色が沢山ある。実際やってみて、わかったですね。あっちこっち海外にも飛びましたが、東三河は、土の変化の多いところだなと。特にきれいな色のものが。写真ではよくわからないですが、これは物凄く綺麗なピンク色ですね」
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「その次に平面で置き換えてみようかと思ったんですね実は。もっとたくさん集めて平面にしてみよう。その地域の土を走り回って、集めていったものがこういうものです。それを分類しなおして、明るいと黒の色の違いがわかる、黒の質感と色の違いが判る。(この会場のプロジェクタでは)実際の色が出ていないです。
この地域で採れたものを、系統的に集めているわけでないです。走り回って、土が露出しているところを取って来ると、こういう土がある。この土を分類し直すと、黒だけ集めると、先程のこういうふうになる。ひとつの崖だけだとこう言う風になる。土の色がこんな風にあるという事に、気が付いて集め出したんです」
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<地質調査断層>
「1992年、稲沢市の荻須記念美術館が、庭をテーマにした展覧会を企画しました。あそこは、植樹の街、植木屋さんの街。なので庭をテーマにした展覧会をしたいから、何かだしてくれと言われました。それで、美術館の裏庭を掘って、その土を美術館の中に入れ、庭を作る事を考えました。15cmずつ美術館の裏庭を掘って、その土を美術館の中にいれようと。そうすると地層が順番に並ぶことによって、土の変化、地層によって色が変化していく事を示せるだろうし、そこにふくまれるもの、何が含まれるかわからないですが、とにかく、そこにふくまれるものを並べる事によって、美術館がある土地の内部が、歴史ではないですが、何か見えて来るのではないか。美術館の部屋の中に、箱庭に様なものを作る事を想定しました。
これ美術館の真裏ですね。奥行き方向では庭の真ん中、左右は建物中心をセンターにした。自分が、こういうイメージを仕上げたいというのではない。そこにある自然の状態で、そのまま持って来る事により、必ず、美しいものに仕上がるのだという信念みたいなもの。そういう仕事をしなくちゃいけないと思っている。イメージ通りに作るんじゃなくて、そのものを持って来ても、必ずそういうものに美しいものが潜めるというシステムを作りあげる事。それが、美術では重要な事だと思っている」
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「美術っていうのは、大それた考えかもしれないが、僕の意識の中では、美術は何をする仕事かというと、どんなものを取りあげようと、どんな手段であろうと、どんな事でも、行為をすれば、美しいものしか出来ない様な方法論でありシステム、そういう構想を作りだす仕事が、現代美術なのだと僕の中では思っている。それ以外の美術は、それを利用してやる応用美術だ。僕の美術以外の仕事、デザインも、そうして出来上がったシステムの内面や構造を利用して、行うものだと思っている。ですからそういう基本的な構造を作る、例えば科学や物理で言えば、基礎物理や基礎科学であったり、そういうものを作るのが現代美術だと考えています。そうなった時、自分がイメージを作りだすのでなくて、方法論を作りあげなくちゃならない、方法を作るのが、定義するのが、現代美術の役目とか仕事ですね」
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「掘る位置も、試掘もしないし試し掘りもしないで、位置も一番綺麗になりそうだなとか調べないので、場所を探しあぐねる事もない。どこでもいい、選ばない。土を選ばない。という事で掘り出したんです。で、15cm程掘っては、土を美術館の中にいれる作業を繰り返していったんです。この様に掘り返していって。掘りだしていくといろんなものが出てきます。実は、試し掘しない、場所を選ばないという事が、とんでもない結果を引き起こしてしまったんです。この美術館の立っていた場所は、ヘドロの捨て場、ゴミ捨て場だったんです。最初は、画面の足元は黄色のきれいな“さば土”なんです。汚いものの上に、オブラートの様に30cmくらいの表土だった。下は、ずっと延々とヘドロだったんです」
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「選ばないと思ってますので、結果的にそこがヘドロであろうときれいな地層であろうと、僕の中では一緒ですので、どんどん入れました。当然、周りはビックリです。美術館中泥だらけになって、荻須美術館に泥を塗ったと言われて。でも僕は、物議をかもしたり、社会運動の為に美術をやっているわけではありません。2年半くらい前に書類をだして、位置を描いた図面も出して、ここを掘ると言って、手続きを済ませました。ですから僕は、ここ掘りたいと言っただけで、許可した人は、(この様な事を)知ってなくちゃいけない。その書類を2回出して、通って予算が出たのですから。で、結果が、こういうものになるんですね。ここまでがきれいな“さば土”で、ここからは、全部ヘドロ。地層の順に並んでずーっと行って」
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「土入れる為に、美術館の床(コンクリート)の上の絨毯は、全部剥がしておいて良かったです。絨毯を剥がさずにやったら、全部ダメになったでしょう。美術館に、絨毯を剥がして良いかと聞いたら、やらせてもらえた。そういう事を許してくれる様になったんだなーと思った。線が見えるのは、絨毯を張り付けたノリの跡です。もう一回、床を張り直して、後はきれいに使われていますけど。ヘドロだと思うと汚いですけど、こうやって庭かと思えば、敷石に見えなくもないなと。
ま、美術は、綺麗な土が仮に出たとすれば、そう言う地球の歴史だとか、人間の営みが出てくるだろうし、この様にヘドロが出てくれば、結果的に人間の営みとか行動とか、社会とか歴史とか、作品を意識しようがしまいが、自分が社会の為に美術をするしないに関わらず、美術家が真摯に向かえば、社会を映す鏡になるんだという事を、僕はこれで知った。あえてこういう事をしようと思っていた訳でないですけど、美術とは実はそういうものだと。でもこれも綺麗なものだったとしても、同じことです。地球の営み、人間では計り知れない何百万年という歴史と言うのか、人辺の営みを映すでしょう。これは高々何十年かの人間の営みがたまたま出てきたのですね。それも一緒だなというのが、この仕事で気が付いたですね。」
「で、これを15cmずつ、この層が15cmですね。で、並べて、地層を掘りだして15cmずつ置くという事、(その)結果を見た時に、これを平面に置き換えていけば、絵画と言うものに、もう一回もどれるなと」

<東浜田地質調査>
「実は、今まで見せてきたものは、絵画では無かった。始め(若い時)は平面作品でしたが、それ以降は、アースアートとか言われますけど、美術館の外でやるとか、その場に何かを設置するような事をやってたんですね。僕の中に、美術と言うのは、そういう一過性の様なものじゃなくて、絵画をやりたいというのが、本当に強かったんですね。きっかけが中々掴めずに、絵を描くという事に対する、何か時代錯誤であるかの様な、意識があったのでしょう。新しい美術の形の様なものを作れないかという意識が、模索をずーっとしてたんですね。それがやっとここで、これを平面に置き換える事が可能だという事に、思い至ったんです。それが先程のものが、こう置き変わって行ったんですね。これは、稲沢の仕事をそのまま平面に置き換えたものです」
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「これで絵画をもう一度やれると。稲沢の仕事を通して、絵画と言うものに立ち返る事ができました。この作品は現物で言うと、2m弱くらいの作品です。で、この上に、この赤い土の層が、本当はもっと派手なやつで。たまたまこの層は、土が露出していたとこがあって、2段にきれていたんです。ですから、上と下で土を取って、合わせて4m近い崖をそのまま、ほぼ原寸です。ですから、この土の層は、20段でしたか、24段だったか忘れましたが、実際の崖の露出した大きさの殆ど同じ大きさに描く様、努めているんです。なるべく崖の大きさの原寸になる様、描いてます」
「そんな事でやっと絵画に行きつく事ができました。これは殆ど全面赤い土ですね。これは飛騨の方で取った土です。先程のは、渥美半島のほうです。こう言う風に4層に分かれている土は、これは2m位ですが、50cmくらいのピッチで土を取っていったものが、4つになっています」
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「層の形、たまたまその土をこの様に掘ったのが、細長くなったり、幅広になったり。あるいは、横に4つ、大体1m20cmの正方形なんですけど、1m20の正方形は、1m20の位置で土を掘った。反対の縦長に並んでいるのは、たまたま土の層が、縦に分かれているんですね。それを同じベースで取って、あの位の大きさで、だから作品の大きさと言うのは、僕の場合は、基本的には、土を採取した土の大きさなんです。土と言うのは崖の大きさ。崖の大きさが、作品の大きさに変わるんです」
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<丘>
「これは、大阪の画廊からの依頼で、大阪の近くで土を探し、土を取る場所を紹介してもらい、土を分けてもらいながら作成しました。オープニングパーティをやった次の日に、阪神の大震災が来て、自分としては気に入っている作品ですけど、お客は来ないですね。そのビルは耐震性のビルで、この作品は傷まずにそのままですが、日本中、オープニングの次の日ですから、ビル内のいろんなものが崩れてしまって、お客は来ずに残念でしたが。写真が1枚残っただけでいいですけど」
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「後は似たり寄ったりで。広島の現代美術館で、ここも土がテーマの展覧会があったんです。その時、大きなスペース用意していただいて、並べさせていただきました。長さ35m位の大きなものです。この時は、工事現場を1ヶ所見つけて採取しました。この様に上下だけ(2層)の作品です。たまたま土の取り方が、これしかできなかったので。結果こうゆうことなんです。2.5m×1.6mのを17点作りました。工事現場内の17ヶ所で、次々に土を取って、その取った時の状態のものをそのままに。初めてその現場へ行って見て、あ、ここはこうしか取れないなと(わかるわけです)」
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「自分が、作りたいイメージがあって、現場に行っているわけではないです。土があるところを、探して、あった。土が露出していた。で、その土が、作らしてくれるものをその場で決めて、それだけの土を持って来る」

<愛知ノート ―土・陶・風土・記憶―>
「今年(2015年)、1月、瀬戸でやった話に移ります。これは、愛知県の地図です。県立の陶磁美術館がありまして、そこで愛知県の風土をテーマに展覧会の企画があり、出展の依頼を受けました。陶磁美術館ですので、陶器に関連したものを出したらいいかなと思いました。この辺が瀬戸、昔の陶器の盛んなところですね。こちらは、知多半島にいくとこの辺が、常滑を中心にした古い窯がでたとこ。ここ渥美半島に来ると、この辺くらいまでが、渥美川や昔の窯業地帯が広がっている。こことここだけは、窯業地帯じゃないんですね。ですけど、一応、愛知県の窯業地帯と言うものを網羅しているんですね。そういうラインを設定して、それを12点くらい、その通り道だけ先につくりましたので、円を描いて12分割して、そこで1ヶ所づつ土を採取して、絵を描いて行けば良いかなと思って」
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「1ヶ所が海になると困るので、篠島を起点にすれば、全部土が取れるという事で、始めに決めました。だから自分がここで取りたいという所は、取れないんです。12分割した各地点の大体2kmくらいの範囲の小さな円を描きました。その中で、土が露出していて、一番最初に、その現場に行って、目の前に土の層が見えていて、危険もなく採取できる所に決めます。それから、経験から大体どこでも取れるのは4層です。全て20段(層)のを作ろうとすると、おそらく不可能だったと思うんですね。ですからどこででも取れるのは、こうゆう4層くらいの土が見える所と、想定したんです。一番最初にその条件で見つかったところの土を、良いとか悪いとか言わずに、1ヶ所づつ採取していく、というプランを作りました」
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「そしてそれを4層の絵画展示にするものと、その4つの土で抹茶茶碗を作ろうと。陶磁美術館ですから。全部同じ型の「板作り」という方法で、同じ大きさの(粘土)板、で同じ底の板を作って、巻くと。そうすると、同じ大きさ、同じ土なのですが、同じ陶器(茶碗)にはならない。土の性質で出来上がりに違いは出ますが、基本的には板が同じなので、同じ大きさのものが出来ます。で、愛知ノートという陶磁美術館の立てたプランにぴったりのものが提示出来るのではないかと、思って作ったのが、この様なものです」
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「1点毎には、こういう状態ですね。・・・アルカリ性の強いもの、ナトリウムやカルシウムが多いものは、こういうもの。これは篠島のもの。(黒っぽい)この色は鉄の色ですね。これは瀬戸の土です。下の(層)が瀬戸の焼き物に使われる土ですね。上の黄土色は、今度のあいちトリエンナーレの色(イエローオーカー)は、瀬戸の土の色ですね。そういうところから土を、規則的に地図上を12等分して、機械的に土を採取して、機械的に描いて、土を塗って、抹茶茶碗を作って焼いていくと結果的に、ある何かを見せている、という事なんです。それを自分があるイメージをもって土をここに乗せたり、この土を使って何かこう作りたいと意図をもって始めると、できるモノは僕と言う存在になるんですね。それでは、僕と地球の関係とか、僕と土との関係とかは、掘り出せない事になります。僕が、土で作るこういうものですとか、形を作るとかは、出来ると思います。でも、そうではない芸術を僕はやりたいと思っているんです。僕がいなければいないなりに、土というものは、土の性質や土の歩んだ歴史とかを見せてくれる。それが僕の芸術だと解釈しているんです。そういう事を提示したい。で、自分が納得して出来てきたものに関して、美という基準みたいなものも、そこにある。僕の美術のあり方みたいなものなんです。
その様な事をやっていました。これが大雑把にここ25年くらい土の仕事をやってみた事の報告みたいなものですね」

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◇◇◇◇◇
あいちトリエンナーレ2016では、下図の赤丸地点の土を採取して、作品制作を行う予定だそうです。
◇◇◇◇◇
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