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アーツチャレンジ2016鈴木孝幸

アーツチャレンジ2016
期間: 2016年2月23日(火)〜3月6日(日)
場所: 愛知芸術文化センター

鈴木孝幸 : 《斜めに歩く place/height》 芸文センター12Fの屋上

愛知芸術文化センタービルの屋上に“小山“が作られていた。
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「愛知県の新城市の長篠城の近くに実家があって、その先、山の裾野のところの土地から、土と石を採取し、ここに運びました」
「この展覧会の募集があった時、今立っているこの場所、愛知芸術文化センタ-(12F)の屋上が、海抜70m位なのを知って、それは新城の実家と同じじゃないかと」
「2007年くらいから作品作りを行っていますが、地面を掘って、その土と(掘った結果の)穴の両方を作品とする事が多かったです」
「今回の場所は、旧鳳来で、長篠城付近の山の裾野です。丁度、平坦な土地から山の斜面へと変わっていくところです。そこの土地の表面を四角く削って土を採取し、石はその近くにあるものを持って来ました」
「盛った土と石の下には、銀色に光るトタンが敷いてありますが、作品の一部でもあり(金属の枠と合わせ、土の色を際立たせている)、屋上で土が流れ出さない防災対策でもあります」

一見すると、小山の頂上を削って、芸文屋上に移設したのかと思ったが、そうではない様だ。土と石を斜めに盛り重ねたのは、山の裾野の斜面を表現しているのだろう。鈴木さんのこれまでの作品から推定すると、表現したい「斜面」は、石を積み重ねた面と思われる。土を盛った部分はその支持体の役割で作品全体を支える役割か。
芸文屋上にのせた山の裾野を《斜めに歩く》。(作品なので歩けないが)

「新城から愛知芸術文化センターまで、100kmくらい。自宅近くの山の斜面を掘りだし、この屋上まで運んで、そこに斜面を出現させるという事。『掘出し、運び、盛る』事が、作品だと考えている」

<芸文センター屋上から新城方向を眺める>
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新城は、ここ愛知芸術文化センターから凡そ東の方向、そちらを眺めながら、100km先の斜面を想像するのも面白い。
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アーツチャレンジ2016井原宏蕗

アーツチャレンジ2016
期間: 2016年2月23日(火)〜3月6日(日)
   ※2月23日(火) 見学ツアー 14:00-15:30
場所: 愛知芸術文化センター B1F北側壁周辺

井原宏蕗(イハラコロ) : cycling
アーツチャレンジのキュレーター 角奈緒子さんによる作品説明です。

黒い粒々でできた鹿、羊、山羊、ちいさい兎の4頭が並んでいる。鑑賞者の方々の中には、鼻を近づけて臭いを嗅ぐ仕草をしている人もいる。
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これら井原さんの作品は、(それぞれの)動物から出る糞で作られています。排泄されればゴミとして処理される様なもので、飾るものとして使われる事はまず考えられないが、それを素材とした。ただし糞だけでは、その匂いで人前での展示は成立しないので、補強材(orコーティング)としての役割も兼ねるであろう、漆を浸み込ませてある。結果、見た目には黒豆の様な別の素材に見えるところが面白い。

(角さん)「扱っているものが家畜なので、飼われ飼育されて、肉や毛皮など人の役に立つ様に使われる。私達は疑問も感じず消費サイクルの中に動物達を取り込んでいる。その動物たちの出す糞というものを、何重にも忘れ去られている様な存在を、今、作品素材として表舞台に立たせている。井原さんが言うには、『糞という皆が忌み嫌うもの、好んでとりあげるものではない物が、立派な建物の中で作品となって、鑑賞の対象になるというギャップに面白さがある』ですので、そこを感じ楽しんでもらえば。臭いも無いですし、作品には触れられませんが、触れたとしても嫌なものに触れている感覚は無いと思います」
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Q1)各作品の黒い粒々は同じ大きさにも見えるが、それぞれの糞なのでしょうか?
「鹿、羊・・それぞれの糞で出来ています。よーっく見ると大きさも形状も、少しずつ違うのがわかると思います。それぞれの糞は、何ヶ月もかけて集めたものです。井原さんは動物の糞に興味を持って今後も続けたいらしい。家畜類ではない別の動物の糞の作品に結実する事を楽しみにしたい。先日聞いたのは、鳩の糞を考えているそうです。社会に於いては鳩の糞は、公害とか、いろいろ忌み嫌われるものですが、それをポジティブな方向で活用する、それがアートのひとつのあり方かも。皆が考える俎上に載せる事ができるかもしれないし、社会のシステムまで考えが及ぶなら、作品としてメッセージが伝わるのではないかなと」
Q2」)以前からこの様な事をやっているのですか?
「これまでは、金属(鉄、ステンレス、アルミetc)を使って動物の作品を制作していました。糞を使うのは最近の事です」
Q3)糞がコロコロしている動物は、少ないので限られてくるのでは。グチャッとしてるのが多いので。
「どの糞を選ぶかも試行錯誤かと思います。最近は、鳩(ハト)の糞を考えているらしいです。鳩の糞には、芯の様な固く丸いものがあるそうで、それを1個々々拾って集めていると、お聞きしています」

アーツチャレンジ2016(長谷部勇人

アーツチャレンジ2016
期間: 2016年2月23日(火)〜3月6日(日)
   ※2月23日(火) 見学ツアー 14:00-15:30
場所: 愛知芸術文化センター

今年もアーツチャレンジが始まった。初日の2/23には、キュレーター(広島市現代美術館の学芸員)角奈緒子さんの案内による見学ツアーも行われた。一部の作家の方の話も聞く事が出来た。

長谷部勇人《樹ギター》 : 地下2Fフォーラム(アートショップ前)
長谷部さんは、以前から木の枝の形をした《樹ギター》を制作し、その演奏(パフォーマン)を行ってきました。この様に大きな枝を抱える様にして演奏します。
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作品全体は、樹の枝が生い茂る感じ(又は、血管が織りなす枝分かれ模様)の様で、そこに弦を張っています。弦は、指で弾く部分は、1本だが、その先、ギターが枝分かれしたところでは、弦も二股に分かれます。今回は、アーツチャレンジ出展の為に、「これまでにない大型の作品」をコンセプトに、大型《樹ギター》を制作した。勿論、アンプがついているので、演奏も行えます。鑑賞者も《樹ギター》展示台の上にあがり、(弦を)弾く事が出来ます。音は、「ギター」と言うより、琵琶(びわ)の様な音色です。
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長谷部さんの説明、
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 「いつもは(演奏活動の為の)楽器なので、手で使える大きさのものを作っている。(今回)パブリックな場所に展示するにあたって、その(展示スペースの)大きさに合わせて(作品のサイズも)本物の木に近づけようとした」
「展示プランを考える時、絵を描くんですが、絵は自由な大きさで描けるが、いざ、弦を張ってみると、張力が変わってしまうんです。普段発表していた楽器は、(これより小型なので)もう少し高い音がした。弦も長くなって、音も低くなった。作って分かったが、考えてみればその通りだ」
-作品はいくつ目のものですか?
「3台目です。(作品展示より)演奏発表が多いですので、持ち運び機会も多くなると壊れたりすることありますが、展覧会での演奏時に動かせないといけないので、丈夫に作る様にしています」
「通常は、チラシ写真の様に抱えて演奏しますが、今回のは大きいので、コントラバスの様に垂直に持たないといけないんです」
-普段の作品より大きい事で、弦の数も増えたのでしょうか?
「弦の数は同じです。響きをどこまで増やせるかなので(枝分かれの弦?)、どこまでも出来るんですけど。弦を増やし過ぎると、張力がかからなくなります。(びょーんびょーんってなって)それで今の形に落ち着いています。イメージとしては、ハープの様な優雅な感じになるかと思ったですが」
(弾き方)
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「後ろに立って、弦を引っ張る(後ろ側にはじく)様に。前側に引くと(弦が)外れやすいです」
長谷部さんは、アーツチャレンジと同時期に開催されるサウンドパフォーマンスプラットフォーム2016(2/28)にも参加する。どの様な演奏になるのか、楽しみだ。

米山よりこ あうこと-Adhere-

米山よりこ あうこと-Adhere-  ポジション2016 アートとクラフトの蜜月
期間: 2016年1月5日(木)〜2月21日(日)
    ※1月10日(日)米山よりこトーク
場所: 名古屋市美術館

米山さんの作品を拝見するのは、2014年秋の古川美術館《つむぐけしきよむこころ》以来だ。
名古屋市美術館の2階展示室に入ると、目の前に《こめのゆめ》が広がる。その両側には、白居易の漢詩が、和紙の切り抜き文字で貼り付けられている。この手法の作品は、古川美術館での展示から始まったものだ。
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右側の壁には、六曲一隻(ろっきょくいっせき:6枚の折り畳み面)の屏風が架かっている。表層の紙は剥がされており、細かな文字が書かれた勘定帳(かんじょうちょう:江戸~明治の会計帳簿)らしき紙が、下張りとして使われているのが見える。特に貴重な品という訳ではなく、どこにでもある、“古い”表具を持って来て、切り抜き文字を張り付ける為の台としたそうだ。

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反対側の壁面には、文字を切り抜かれた紙を壁面に直接、貼り付けている。
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「日本の表具は、木の枠に勘定帳とか古い紙を沢山貼るんですけど、表の絵は、それにしっかりくっつけないで、いつでも剥がせる様にしています。部屋に合わせ、絵の貼り替えができる様に」

今回の展示は、「接着」をテーマにしていると説明をしていたが、くっつける事だけでなく、剥がす事も同じ様に大事なのだとの考えに興味を惹かれたそうだ。
切り抜き文字は、白居易(はっきょい:白楽天の字(あざな)でも知られる)の漢詩『和夢春遊詩一百韻』からのものだが、一般には、「合者離之始」(会うは別れの始め)の言葉でよく知られている。
合者離之始_convert_20160221110748

「この世で出会った人とは、いつか必ず別れが訪れる」
出会いは必ず別れをもたらすとの世の無常を表す、と表層的には言われるが、その本来の意味は、
「別れの悲しみや、愛のはかなさをあらわすが、それは出会う喜びがあったからこそである。始めがあれば終わりがあるのが世の常ならば、別れがくるまでの時間を大切にすることが大事」なのです。
 「接着」という言葉に於いて、貼る事と剥がす事が同義だというならば、「会うは別れの始め」の文脈に重なって来るのでしょう。

《こめのゆめ》が、左右の壁にある八居易の漢詩の切り抜き文字に挟まれて展示されているのも、象徴的です。日常生活の中で、余って捨て去られるところを拾われ、絹糸にくっついて、作品に生まれ変わったお米達です。今、日本では、食品廃棄の量の多さが問題になっています。本来食べられた筈の、食べ残しや売れ残り食品は、年間数百万トンにもなり、日本人1人当り、おにぎり換算で1~2個分を毎日捨てている事になるそうです。
人々の舌を楽しませる為に生まれてきたお米達ですが、かなりの数のもの達が、本来の目的を叶える事なく、ゴミとして焼かれたり埋められたりしています。そんな中で、《こめのゆめ》のお米達は、人々の舌を楽しませる代わりに、目を楽しませるという新たな役割を担い、いつかは朽ち果てるその時までを大切に生きていく。それが彼らの(こめの)夢。

《こめのゆめ》の中に足を踏み入れ見上げると、天井から垂れ下がった米の糸が、小糠雨の様にも見え、しんとした静けさに身を包み込まれる雰囲気を味わえます。足元には雨が作りだした水溜りの様に、鏡が置かれています。
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もう少し奥に進もうと思ったのですが、関守石に止められました。
(※関守石(せきもりいし):「これより中に入ることは遠慮されたし」の印)
       関守石
米山さんの作品の面白いところは、この様な細やかな仕掛けですね。

**************

今回の展示で気になったのは、美術館のホワイトキューブの中では、お米と和紙の白さが目立たなくなった事。以前、七ツ寺共同スタジオや古川美術館為三郎記念館での展示の様な、くっきりとした米の糸を見る事ができず、少々残念。
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ゆでたまご

Author:ゆでたまご
鑑賞者の目で現代アートを探求

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