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勅使川原三郎版 「羅生門」

漆黒の闇の中に三つの人影、足元には布をまとった人形のものがいくつか横たわる。背景にライティングで淡く浮かび上がった2本の光柱は、朽ちた羅生門。ミニマルな舞台にサイレンの様な大音響が鳴り響き、観る者に不穏な空気を抱かせる。勅使川原は、文学作品を踊りで表現する事は、「あらすじをダンスで見せる」のではなく、小説(羅生門)の「後ろにあるものを表現」すると言う。

『・・・永年、使われていた主人から、暇を出され・・、明日の暮し―どうにもならない事を、どうにかしようとして・・朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていた・・』短編小説「羅生門」の朗読が、琵琶法師の語りの様に舞台に響く。ボロボロの衣を纏った下人(勅使川原)が舞う。帰る家も飢えを満たす糧もない。どうにかしなければ飢えて死ぬ、どうにかしようとするならば人の道を外れ盗人になるしかない。その一歩を躊躇し苦悩に悶える。勅使川原メソッドと言われる、柔らかな肢体の動きと一瞬の静寂のバランス、そこから一転力強い動き。バレエの動作とは異なる、舞踏も連想させる動きが、下人の揺れ動く胸の内を投影する。
笙の崇高な音色と共に、汚れた衣を纏った老婆(佐東梨穂子)の舞いが始まる。死体から髪の毛を抜く行為は、何ともおぞましいものだが、善悪の感情を忘れた人は、死骸の間を無心に歩き回り、そっと抜く。指先までも柔らかな肢体の動き、時に力強く時に優雅なまでに流れる表現は、秀逸。勅使川原のコラボレーターが長い佐東だが、これまでと比べても、今回のダンスは、特筆に値する。
『悪い事とは思わぬぞよ。せねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの』老婆の言葉に、下人は一線を越える。
老婆と鬼(アレクサンドル・リアブコ)の舞いで、鬼は、餓鬼への道へ引き込もうと激しく力強い動きを見せるが、老婆はどこか淡々とした雰囲気を漂わせ、餓鬼にはなりきれない人の魂を見せている。リアブコは、バレエダンサーだが、勅使川原メソッドをうまくこなしていた。所々にバレエダンサーの肉体の強靭さが散見されたが、それが返って佐東の柔らかな舞いを際立たせていた。
暗転。
地の底から響いてくる様な鈍い効果音で満たされる舞台、中央に淡い明りで浮かび上がる老婆が、先程とは異なる白い衣装で立つ。雨音、雷の音が響く中、激しい動きと柔らかな肢体の動きの対比は、不安と迷いに苛まれる感情表現。息絶えようとしているのか、既に魂となって漂っているのか。神々しい音楽と共に、朝日が老婆を照らす。立上って天に向けて手を差し伸べる。
老婆は、救われたのだ。

勅使川原は、飢餓と疫病に苦しむ平安の人々を、自然災害やコロナ蔓延に見舞われ、未来への道筋を見失った現代人に重ねて、「救いはある」(歎異抄「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」)と伝えたかったのかもしれない。
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