水野シゲユキ展「朽-残骸の美学-」
5月5日(月)、愛知県岡崎市のMasayoshiSuzuki Gallary で、水野シゲユキ展「朽-残骸の美学-」を見てきた。水野シゲユキさんの作品は初めて。ポスターを見ると何やらジオラマ風の絵が。

(※チラシを撮影)
ギャラリーのドアを開けるとすぐ、11点の作品が1階フロアに並べられていた。
入り口近くの展示台の上に置かれた作品がこれ。40cm角くらいの台座に破壊され錆びついた戦車の残骸がのっている。タイトルは、「Destroyed」-破壊された戦車。




ギャラリー内に置いてあった資料を元にネット検索してみると、第2次世界大戦末期、今は無いソビエト(凡そ現在のロシア)が、対ドイツ戦に投入した「自走砲SU-100」だった。元々はこんな外観。

ドイツ降伏の半年くらい前(1944年秋)に、ドイツの誇る無敵タイガー重戦車を打ち破るべく、強力な100mm砲を搭載し、戦線に投入された。通常、戦車といえば、車体の上部に砲塔(クルクル回る頭)がありますが、「自走砲」と呼ばれる種類のものは(重戦車よりも小型)、大口径の大砲を搭載する為に、砲塔を取り払い、前面に大砲を取り付けたのですね。それでは横から攻撃されたらどうするの?と思いますが、そんな事は考えません。とにかく、真正面からタイガー戦車に立ち向い、一発で撃破すればよいのだ!と。
でも、見事に破壊されていますね。元の姿が判らない程に。タイガーの返り討ちにあったのでしょうか、はたまた横からの攻撃で、なす術もなかったのか。
残骸の傍に立つ人は、だれなのでしょう。ジーンズに黒の革ジャン姿で、正規の兵士には見えないので、この戦車の乗員でも、敵方にも見えない。残骸の錆具合から考えて、戦闘が終わって随分時間がたっていると考えられます。人の後ろに、ハンマーの様なものも見えます。既に、戦後で、放置された戦車の残骸を、鉄くずとして回収するつもりなのでしょうか。
こちらの作品のタイトルは、「BlackRuins」-黒い廃墟。黒い煤が破壊の生々しさを感じさせるジオラマ作品です。一方の壁だけを残し、崩れた家。その周りには、破壊された装甲車が2台。これだけの破壊を尽くしてもまだ戦闘に終わりは無いのか。まだ敵は、付近に留まっているのか。ドイツの戦車と兵士が周りを睨みながら、ゆっくりと前進。何とも言えない緊張感が漂います。



ここに登場しました戦車模型の大ファンの(というかオタクと言う言葉があう)方々がいらっしゃいます。この雑誌にある様なプラモに彩色を施し、「実在感」を楽しむのですね。

例えば、宮崎駿監督の「雑想ノート」に登場する多砲塔戦車<悪役1号>が、モデルメーカーから販売されています。

箱の中のパーツを見ると、この様な感じですね。

これを組み立て、彩色するのですが。ギャラリーの中二階にあった水野さんの作品例。

この本物感を愛好家の方々は、愛でるのですね。
(私も子供の頃、プラモデル大好きでしたから、こんなの見るとグッときますね。)
今回の作家、水野シゲアキ氏は、元々現代アート作家ですが、2003年頃からアーマーモデリングの世界に足を踏み入れ、今では、この世界or業界での有名な作家でもあるそうです。但し、他のモデラーの方と違うのは、戦車・装甲車の完成した姿を“美しく”見せるのではなく、氏の表現世界、今回の様な-残骸の美学-の世界を作り上げる事です。
水野シゲユキ氏は、「視覚的なリアルさというよりは、脳内感覚や記憶のリアルさや既視感みたいなものをテーマにしています」と述べている。
アーマーモデルは、実際の戦車・装甲車を出来るだけリアルに再現する、その技術を競い、見せるものだ。だが、氏の場合は、“破壊された兵器”をモチーフとした作品ではあるが、そのリアルな再現が目的ではない。
もうひとつ作品を見てみよう。ポスターにも載っている、「Destroyed」-壊れた3号戦車、L型-だ。第2次大戦初期から中期にかけてドイツ軍の主力中型戦車だった。が、無残にも破壊された車体は、剥がれた砲塔を90度傾けたままのせている。横にいるのは、かぶっている帽子からソビエト軍の兵士と推測できる。多分もう敗戦間近の頃か、3号戦車の徹底した破壊ぶりから見えて来るのは、焦土となったドイツの都市だ。




この辺りが、水野シゲアキ氏の真骨頂なのだろう。破壊の後の、錆びた残骸に、「強者どもが夢のあと」を見せるのか。破壊され尽くし、元の姿もわからなくなった戦車のジオラマ、それは、その背後に累々と続く瓦礫の街を思い浮かべよと言うのか。強者もいつかは朽ち果てる、その時の流れを感じよと。
しばらく見ていたら、戦車の残骸が、恐竜の化石の様に思えてきた。模型の精密さリアルさが、想像力を掻き立てる作品群だ。

(※チラシを撮影)
ギャラリーのドアを開けるとすぐ、11点の作品が1階フロアに並べられていた。
入り口近くの展示台の上に置かれた作品がこれ。40cm角くらいの台座に破壊され錆びついた戦車の残骸がのっている。タイトルは、「Destroyed」-破壊された戦車。




ギャラリー内に置いてあった資料を元にネット検索してみると、第2次世界大戦末期、今は無いソビエト(凡そ現在のロシア)が、対ドイツ戦に投入した「自走砲SU-100」だった。元々はこんな外観。

ドイツ降伏の半年くらい前(1944年秋)に、ドイツの誇る無敵タイガー重戦車を打ち破るべく、強力な100mm砲を搭載し、戦線に投入された。通常、戦車といえば、車体の上部に砲塔(クルクル回る頭)がありますが、「自走砲」と呼ばれる種類のものは(重戦車よりも小型)、大口径の大砲を搭載する為に、砲塔を取り払い、前面に大砲を取り付けたのですね。それでは横から攻撃されたらどうするの?と思いますが、そんな事は考えません。とにかく、真正面からタイガー戦車に立ち向い、一発で撃破すればよいのだ!と。
でも、見事に破壊されていますね。元の姿が判らない程に。タイガーの返り討ちにあったのでしょうか、はたまた横からの攻撃で、なす術もなかったのか。
残骸の傍に立つ人は、だれなのでしょう。ジーンズに黒の革ジャン姿で、正規の兵士には見えないので、この戦車の乗員でも、敵方にも見えない。残骸の錆具合から考えて、戦闘が終わって随分時間がたっていると考えられます。人の後ろに、ハンマーの様なものも見えます。既に、戦後で、放置された戦車の残骸を、鉄くずとして回収するつもりなのでしょうか。
こちらの作品のタイトルは、「BlackRuins」-黒い廃墟。黒い煤が破壊の生々しさを感じさせるジオラマ作品です。一方の壁だけを残し、崩れた家。その周りには、破壊された装甲車が2台。これだけの破壊を尽くしてもまだ戦闘に終わりは無いのか。まだ敵は、付近に留まっているのか。ドイツの戦車と兵士が周りを睨みながら、ゆっくりと前進。何とも言えない緊張感が漂います。



ここに登場しました戦車模型の大ファンの(というかオタクと言う言葉があう)方々がいらっしゃいます。この雑誌にある様なプラモに彩色を施し、「実在感」を楽しむのですね。

例えば、宮崎駿監督の「雑想ノート」に登場する多砲塔戦車<悪役1号>が、モデルメーカーから販売されています。

箱の中のパーツを見ると、この様な感じですね。

これを組み立て、彩色するのですが。ギャラリーの中二階にあった水野さんの作品例。

この本物感を愛好家の方々は、愛でるのですね。
(私も子供の頃、プラモデル大好きでしたから、こんなの見るとグッときますね。)
今回の作家、水野シゲアキ氏は、元々現代アート作家ですが、2003年頃からアーマーモデリングの世界に足を踏み入れ、今では、この世界or業界での有名な作家でもあるそうです。但し、他のモデラーの方と違うのは、戦車・装甲車の完成した姿を“美しく”見せるのではなく、氏の表現世界、今回の様な-残骸の美学-の世界を作り上げる事です。
水野シゲユキ氏は、「視覚的なリアルさというよりは、脳内感覚や記憶のリアルさや既視感みたいなものをテーマにしています」と述べている。
アーマーモデルは、実際の戦車・装甲車を出来るだけリアルに再現する、その技術を競い、見せるものだ。だが、氏の場合は、“破壊された兵器”をモチーフとした作品ではあるが、そのリアルな再現が目的ではない。
もうひとつ作品を見てみよう。ポスターにも載っている、「Destroyed」-壊れた3号戦車、L型-だ。第2次大戦初期から中期にかけてドイツ軍の主力中型戦車だった。が、無残にも破壊された車体は、剥がれた砲塔を90度傾けたままのせている。横にいるのは、かぶっている帽子からソビエト軍の兵士と推測できる。多分もう敗戦間近の頃か、3号戦車の徹底した破壊ぶりから見えて来るのは、焦土となったドイツの都市だ。




この辺りが、水野シゲアキ氏の真骨頂なのだろう。破壊の後の、錆びた残骸に、「強者どもが夢のあと」を見せるのか。破壊され尽くし、元の姿もわからなくなった戦車のジオラマ、それは、その背後に累々と続く瓦礫の街を思い浮かべよと言うのか。強者もいつかは朽ち果てる、その時の流れを感じよと。
しばらく見ていたら、戦車の残骸が、恐竜の化石の様に思えてきた。模型の精密さリアルさが、想像力を掻き立てる作品群だ。
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