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ヨコハマトリエンナーレ2014(8/3)

8月3日(日)、午前中は横浜(トリエンナーレ)、午後は東京・三軒茶屋(トヨタコレオグラフィーアワード)に行ってきました。あまり時間が無かったので、トリエンナーレは横浜美術館会場のみの訪問になりました。
ヨコハマトリエンナーレ2014のテーマは、(既にご存知思いますが)「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」です。
ヨコトリ2014ポスタ

その長い説明を短くしてみます。
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◇「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホール。
人類はこれまで想像を絶する量の情報(や「もの」)を廃棄(=忘却)し続けてきた。記憶化されないまま廃棄された情報(や「もの」)は、それよりもさらに膨大だろう。それら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達にも思いを馳せてみよう。
◇世界は、そのほとんどが「忘却」の(ブラックホール→)海によって満たされ、記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島にすぎない。
「記憶」から「忘却」へと、世界認識のための軸足を、真逆に置き換えてみる。すると、社会や暮らしや人生の諸相が今までとはガラリと違って見えてくる。その手応えや驚きや切実感が表現となる。そうした芸術的態度は確かにあり、ヨコハマトリエンナーレ2014における「忘却」というテーマは、そういったものである。
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横浜美術館には、開館(10:00)の1時間前に(手堅く)着いたが、当然だがまだ開いていない。美術館前の広場には夏の太陽が朝からジリジリと照り付ける。そこには、ウィル・デルボアの作品、巨大な(全長15m)ゴシック様式の《低床トレーラー》があり、その錆びた鉄の赤茶けた色が、暑さを増幅させる。
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広場の端には、木陰の下のベンチがあるが、春なら気持ちの良い木漏れ日も、夏の朝には、肌に突き刺さりそう。向かい側にあるカフェに避難しようとしたら、警備員さんの「まだ開いておりません」(クールだな)。先にチケットでも購入できないかと、日陰になっているチケット売り場を格子シャッター越しに見たら、向こう側からボランティアの人が、「シャッターが開くのは、15分前ですから」(クールだ!)。私はどちらかと言えば、何事にも準備万端整える方だけど、今回はマズった。スケジュールはOKだったのだが、早朝、名古屋の新幹線改札口を通過したその瞬間、思い出した。「あ、ヨコトリのチケット忘れた・・・」私の前売りチケットは、忘却のブラックホールへと吸い込まれたのだ。
(前振りが長くてすいません。)

AM10:00 一番で美術館入り口を通過すると目の前はロビーの広い空間、の筈が、真正面に大きな箱型の構築物が見える。マイケル・ランディの《ART BIN(アート・ビン)》「芸術のゴミ箱」ですね。
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ヨコトリ2014のサイトを覗くと、今でもこのゴミ箱に捨てる作品を募集しています。
その趣旨は、ヨコトリ・サイトの説明によると・・・

「グランドギャラリー(ロビー)に設置したこのゴミ箱は、高さ7m、幅7.8m。(底が正方形で、上が少し開いた感じの立方体)失敗作や未発表等で、捨ててもよい作品を、ここに投げ入れる参加型の作品。失敗作品は、存在していなかったかの様に、美術史上から忘れられていきます。《アート・ビン》は、この「忘れられた美術史」をアート・ビン=芸術のゴミ箱、つまり「忘却の容器」として提案しています。」

正面の反対側には、階段が取り付けらていて、依頼者が持ち込んだ(失敗)作品を、係の人が、アート・ビンの一番上から、投げ入れます。油絵の描かれたカンバスだけの作品ならば、ひらりひらりと舞い落ちますが、木枠や額等が付いていて、ある程度の重さがある場合、投げ入れた後、“ガッシャーン!“と結構大きな音が響きます。周りの観客が一斉に注目。ロビーにいる人は勿論、3F廊下にいる人も、上から覗き込みます。
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今は、底に少し溜まっている程度なので、その分落差が大きく、大きな音が出るようです。会期の終わり頃はどうなっているのでしょうか。失敗作で箱が埋め尽くさてるのでしょうか。その意味で、この作品が、今回の一番の注目かもしれませんね。

今回のヨコトリは、展示をいくつかのChapter(話)に分けて展示しています。ロビーのマイケル・ランディのところは、Introduction(序章)となっています。階段を上がって行くと、第1話から始まります。
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第3話「華氏451はいかに芸術にあらわれたか」のところの作品を、ひとつ紹介します。
マイケル・ラコウィッツの作品《どんな塵が立ち上がるだろう?》です。
ガラスのテーブルの上に、石を削って作ったと思われる「本」が置いてあります。[説明: 1941年に英軍により爆撃され、燃えてしまったカッセル(ドイツ)の図書館の蔵書を石を使ってかたどった作品。] 
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注目はその石。タリバンによって破壊された、アフガニスタンの古代遺跡バーミヤンの巨大石仏のものを使っている点です。(※注:ドイツの調査隊が、破壊後の瓦礫を持ち帰ったと言われてますが、それを使ったのでしょうか。)
<※参考:破壊前の石仏・・・展示にはありません>
石仏破壊前
<※参考:破壊後の石仏・・・展示にはありません>
石仏破壊後

ガラスの上に、文字が書かれています。石仏破壊を指示したと言われる、タリバンの最高指導者、オマル師の言葉です。

「私はバーミャンの仏像など破壊したくなかった。実は、数人の外国人が私のところへ来て、雨で少し傷んだバーミャンの仏像を修復したいと申し出た事があった。私は、ショックを受けた。こう思ったのだ。この冷たい人間たちは、生きている何千という人々、餓死しかけているアフガン人の事など気にかけず、仏像のような無生物の心配をしている。きわめて遺憾である。それで私は仏像破壊を命じた。彼らが人道的な仕事のために来ていたら、けっして破壊など命じなかっただろう。
- ムラフ・モハマド・オマル - 」

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世界中でタリバンの文化財保護に対する意識の欠如が強く批判されたが、立場が変われば、上記の様な見方になるのだろう。しかし、タリバンを批判しながら、飢餓に苦しむアフガニスタンの人々に無関心な国際社会に、イランの映画監督は、自身の作品の中でこう語る。(※注:展示にはありません)

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し、世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」

ある問題に関するものの見方は、見る人の数程あるのだろう。忘却の海の底から、情報の紐を手繰ってみると、次々と思いもよらないものが引き上げられてくる。

どうも、テーマから察するに、じっくりと読み解くタイプの作品が多そうだ。次回は、時間をかけて見る事にしよう。
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