アーツチャレンジ2016田口友里衣
アーツチャレンジ2016
期間: 2016年2月23日(火)〜3月6日(日)
場所: 愛知芸術文化センター
田口友里衣(タグチユリエ) : 《here or there》
- 曖昧な存在を証明する行為-
タイトル《here or there》は、「こちら側又はあちら側」といったどちらとも付かない、その境界の様な場所だろうか。11階展望回廊の窓枠に、小石を少し積上げ、その上にワイヤーで繋いだガラス玉のオブジェが並べてある。

田口さんは、こうしたガラス玉を使用した作品やインスタレーションを多く制作しており、ガラス作家とも呼ばれているそうだ。小石を重ね、その上にガラス玉をつなげた枝を立てた、この形は、仏舎利(ぶっしゃり)又は卒塔婆(そとうば)と呼ばれるものをイメージしている。
※参考)仏舎利:お釈迦様の遺骨を納めた丸屋根の仏塔と、その上に相輪(柱)を立てたもの。

展望回廊からの外の景色はとても良く、それを見に来る人も少なからずいる。その中で、窓枠に置かれた小石とガラス玉の作品が存在感を示すのは、なかなか難しい要件である様に思う。しかし、外からの光とガラス玉の相性は良く、繊細な造りの作品ではあるが、重厚なビル群に対して、ささやかな輝きを見せ、人目を引いていた。



窓ガラスを挟んで、視線が、ガラス玉の輝きに行ったり、外の風景に行ったり、こちらとあちら(Here or there)をさまよう。ちょっと腰をかがめ、ガラス玉の柱の並び越しに、外の風景を眺めている鑑賞者も何人か見受けられた。こちらとあちらの風景の境目の曖昧さを、楽しんでいるのだろうか。

展望回廊を奥へと進むにつれ、小石の積上げが増えてきて、作品の自己主張が強くなっているようだ。




芸大の造形科工芸コース(ガラス)で学んだ田口さんは、ガラスへの思い入れもある様だ。
「私は工芸コースに居て、ガラスを学んできたのですが、“工芸品を作りたいわけでない”という悩みがありました。でもガラスが好きなんです。ガラスの単純なきれいな部分がすきなだけでは無くて、構造として、固体ですけど液体の分子構造を持っているので、準安定物質(アモルファス状態)と言われる事に興味をひかれます。そう言った言葉を自分の中では「不安定」と言う言葉に置き換えています。いつかは形を失って消えてしまうかもしれない物と捉えたんです。「準安定」とは、ガラスが、理化学的にそう言われているだけです。全てのものは、いつかは消えてしまう事から、全てのものはガラスであると言えますし、私自身も含めて表現できるなと思いました」
窓の反対側の壁にも作品が掛っています。これもタイトルは、《Here or there》


この作品の“こちら側とあちら側”は、時間軸上での異なる位置を表している。
板の少し上に、ガラス玉を針金で固定します。日が射すとガラス玉は、白い板の上に薄い影を落としますので、その影を記録します。
「今、この瞬間の存在は、過ぎ去った全ての過去の一瞬の元に成立っています。また次の瞬間、先の未来へと繋がっていきます。“影を追う”という作品です」
過去の日付の作品が並んでいますが、会期中の土日は、ここで公開制作も行っていた。作品の並びも、過去から未来への流れになっている。
************<インタビュー2/28>***************
-ガラス玉の影を追う作品は、日が落ちると、影は上の方に行って・・
「そう、上に行って消えてしまう感じです、この場所は。(影は)上の方(に行って)で消えます」




-窓側のガラスの玉ですけど Here or there こっちとあっちと言うのは、風景と(窓のこちら)って言う感じで。
「そうですね。私、こう見て欲しいというのあんまり無くて、あくまで自身の中の話なので、皆さん見る方の中で、Here & There があると思います。自分としては、この目に見えている街と足元、更に、それが自分の死んだ後とか、生まれてきた前とか、行った事無いですけどいつか行く場所っていうので。ここかそこか、また更に向こうまで考えていける様な空間かなと。ここはホワイトキューブではないので」
-風景と、窓を挟んで手前にガラス玉がある(それを通して外を見る)。 この形が仏舎利のイメージだとすると、あの世とこの世の境目、とも言えるでしょうか。
「そうですね、自分の思いとしては、今ここを見てても、この場所は変化してきた場所だし、変化していく場所だし、その頃には自分も変化しているかもしれないし、しないかもしれない。あくまでいろんなものの形をかりそめていって、で一番そういったものを自分の中で形として落とし込める形が、ストゥーパ(仏舎利)、魂の入れ物の形だと思っています。何か形を作らないと作品として残せないので、何かを作りたいんですけど、その何かを、自分の中でずっと探っていました。そして、今一番落とし込める形が、その仏舎利の、仮初の形、魂が仮に入っている形だなと。自分のコンセプトの一番スッとくる形だなと思っています」

田口さんの右の耳には、三つ目の作品(ガラス玉のイアリング)が光っている。
期間: 2016年2月23日(火)〜3月6日(日)
場所: 愛知芸術文化センター
田口友里衣(タグチユリエ) : 《here or there》
- 曖昧な存在を証明する行為-
タイトル《here or there》は、「こちら側又はあちら側」といったどちらとも付かない、その境界の様な場所だろうか。11階展望回廊の窓枠に、小石を少し積上げ、その上にワイヤーで繋いだガラス玉のオブジェが並べてある。

田口さんは、こうしたガラス玉を使用した作品やインスタレーションを多く制作しており、ガラス作家とも呼ばれているそうだ。小石を重ね、その上にガラス玉をつなげた枝を立てた、この形は、仏舎利(ぶっしゃり)又は卒塔婆(そとうば)と呼ばれるものをイメージしている。
※参考)仏舎利:お釈迦様の遺骨を納めた丸屋根の仏塔と、その上に相輪(柱)を立てたもの。

展望回廊からの外の景色はとても良く、それを見に来る人も少なからずいる。その中で、窓枠に置かれた小石とガラス玉の作品が存在感を示すのは、なかなか難しい要件である様に思う。しかし、外からの光とガラス玉の相性は良く、繊細な造りの作品ではあるが、重厚なビル群に対して、ささやかな輝きを見せ、人目を引いていた。



窓ガラスを挟んで、視線が、ガラス玉の輝きに行ったり、外の風景に行ったり、こちらとあちら(Here or there)をさまよう。ちょっと腰をかがめ、ガラス玉の柱の並び越しに、外の風景を眺めている鑑賞者も何人か見受けられた。こちらとあちらの風景の境目の曖昧さを、楽しんでいるのだろうか。

展望回廊を奥へと進むにつれ、小石の積上げが増えてきて、作品の自己主張が強くなっているようだ。




芸大の造形科工芸コース(ガラス)で学んだ田口さんは、ガラスへの思い入れもある様だ。
「私は工芸コースに居て、ガラスを学んできたのですが、“工芸品を作りたいわけでない”という悩みがありました。でもガラスが好きなんです。ガラスの単純なきれいな部分がすきなだけでは無くて、構造として、固体ですけど液体の分子構造を持っているので、準安定物質(アモルファス状態)と言われる事に興味をひかれます。そう言った言葉を自分の中では「不安定」と言う言葉に置き換えています。いつかは形を失って消えてしまうかもしれない物と捉えたんです。「準安定」とは、ガラスが、理化学的にそう言われているだけです。全てのものは、いつかは消えてしまう事から、全てのものはガラスであると言えますし、私自身も含めて表現できるなと思いました」
窓の反対側の壁にも作品が掛っています。これもタイトルは、《Here or there》


この作品の“こちら側とあちら側”は、時間軸上での異なる位置を表している。
板の少し上に、ガラス玉を針金で固定します。日が射すとガラス玉は、白い板の上に薄い影を落としますので、その影を記録します。
「今、この瞬間の存在は、過ぎ去った全ての過去の一瞬の元に成立っています。また次の瞬間、先の未来へと繋がっていきます。“影を追う”という作品です」
過去の日付の作品が並んでいますが、会期中の土日は、ここで公開制作も行っていた。作品の並びも、過去から未来への流れになっている。
************<インタビュー2/28>***************
-ガラス玉の影を追う作品は、日が落ちると、影は上の方に行って・・
「そう、上に行って消えてしまう感じです、この場所は。(影は)上の方(に行って)で消えます」




-窓側のガラスの玉ですけど Here or there こっちとあっちと言うのは、風景と(窓のこちら)って言う感じで。
「そうですね。私、こう見て欲しいというのあんまり無くて、あくまで自身の中の話なので、皆さん見る方の中で、Here & There があると思います。自分としては、この目に見えている街と足元、更に、それが自分の死んだ後とか、生まれてきた前とか、行った事無いですけどいつか行く場所っていうので。ここかそこか、また更に向こうまで考えていける様な空間かなと。ここはホワイトキューブではないので」
-風景と、窓を挟んで手前にガラス玉がある(それを通して外を見る)。 この形が仏舎利のイメージだとすると、あの世とこの世の境目、とも言えるでしょうか。
「そうですね、自分の思いとしては、今ここを見てても、この場所は変化してきた場所だし、変化していく場所だし、その頃には自分も変化しているかもしれないし、しないかもしれない。あくまでいろんなものの形をかりそめていって、で一番そういったものを自分の中で形として落とし込める形が、ストゥーパ(仏舎利)、魂の入れ物の形だと思っています。何か形を作らないと作品として残せないので、何かを作りたいんですけど、その何かを、自分の中でずっと探っていました。そして、今一番落とし込める形が、その仏舎利の、仮初の形、魂が仮に入っている形だなと。自分のコンセプトの一番スッとくる形だなと思っています」

田口さんの右の耳には、三つ目の作品(ガラス玉のイアリング)が光っている。
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