林ナツミ 本日の浮遊
東京都写真美術館が毎年行なっている「日本の新進作家」展Vol.12(2013.12/7-2014.1/26)を見た。今年のテーマは「路上から世界を変えていく」で、5人の作家の作品が展示されていた。
中でも、林ナツミさんの「本日の浮遊」が目を引いた。女性(林さんなのだろう)が、いろんな所で浮いている。路上で、少し開いた門のあいだで、土手の上で、公園の中で、確かに「浮いて」いる。ポーズはいろいろあって、空中に真っ直ぐ立っていたり、地上50センチのところを駆けたり、体が少し前に傾いて空中を移動していたり。「浮遊」という言葉が、まさにぴったりだったのは、少し霞んだ遠くの町並みを背景に、ふんわり漂っているこの写真。(図録を写したものなのでいまいち見づらい)

ふわりと空中に浮かび上がった姿、それがあたり前のように見える様に、ふとジブリのアニメ「魔女の宅急便」のキキを連想した。魔法使いの少女キキが、親元を離れ、人間の住む町に(箒に乗って)飛んできた時、町の人は皆、「魔女が飛んできた」「縁起がいいね」とあたり前のように話をする。そんな“あたり前”の浮遊を感じさせる写真なのだ。
林ナツミさんは、図録の説明の中で、「写真は、本当に真を写しているのだろうか」「自分を跳躍させた事実と写真の中で浮遊している自分との乖離」の様に述べている。撮った写真はその出来事を証明してはいないという状況、とも。その様な意図とは別に、作品自体は、見る人の願望(浮いてみたい)をくすぐるものになっているのが面白い。
林さんは、自身のブログ「よわよわカメラウーマン日記」の中で、2011年1月から<本日の浮遊>プロジェクトを開始した。ここを覗いていただくと、初期の頃からの浮遊を全て見ることが出来る。最初は、力強く「ジャンプ」の様な写真もあるが、撮影が進むに連れ、肩の力も抜けて「浮遊」らしくなってきた。満足のいく1枚の為には、100~300枚撮る事も必要だとか。「ふんわり浮遊写真」の裏舞台は、結構大変なのだ。
中でも、林ナツミさんの「本日の浮遊」が目を引いた。女性(林さんなのだろう)が、いろんな所で浮いている。路上で、少し開いた門のあいだで、土手の上で、公園の中で、確かに「浮いて」いる。ポーズはいろいろあって、空中に真っ直ぐ立っていたり、地上50センチのところを駆けたり、体が少し前に傾いて空中を移動していたり。「浮遊」という言葉が、まさにぴったりだったのは、少し霞んだ遠くの町並みを背景に、ふんわり漂っているこの写真。(図録を写したものなのでいまいち見づらい)

ふわりと空中に浮かび上がった姿、それがあたり前のように見える様に、ふとジブリのアニメ「魔女の宅急便」のキキを連想した。魔法使いの少女キキが、親元を離れ、人間の住む町に(箒に乗って)飛んできた時、町の人は皆、「魔女が飛んできた」「縁起がいいね」とあたり前のように話をする。そんな“あたり前”の浮遊を感じさせる写真なのだ。
林ナツミさんは、図録の説明の中で、「写真は、本当に真を写しているのだろうか」「自分を跳躍させた事実と写真の中で浮遊している自分との乖離」の様に述べている。撮った写真はその出来事を証明してはいないという状況、とも。その様な意図とは別に、作品自体は、見る人の願望(浮いてみたい)をくすぐるものになっているのが面白い。
林さんは、自身のブログ「よわよわカメラウーマン日記」の中で、2011年1月から<本日の浮遊>プロジェクトを開始した。ここを覗いていただくと、初期の頃からの浮遊を全て見ることが出来る。最初は、力強く「ジャンプ」の様な写真もあるが、撮影が進むに連れ、肩の力も抜けて「浮遊」らしくなってきた。満足のいく1枚の為には、100~300枚撮る事も必要だとか。「ふんわり浮遊写真」の裏舞台は、結構大変なのだ。
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